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2023年5月8日月曜日

広大病院の"まとも"で"フツー"な院内感染対策

NCGMを含む多くの病院が
根拠のない面会制限を続けている。
「1人1回15分・2人まで」とか
「15歳以下は面会禁止」とか。

日本版CDCって何だっけ。

そんな中で、広大病院は立派だなあ
「患者にとって面会は重要な意味を持つため、面会に制限は設けていません・患者との直接接触も制限していません」だってさ。

ほかにも
・出入口の体温計は不要
・入院時スクリーニングは不要
・待合室のアクリル板も不要
・待合室の座席1つ飛ばしも不要
・コロナ患者だって共用のトイレを使えばいい
・コロナ患者が使ったCTを使用不可にする意味はない
・コロナ患者が持ってきた書類を「消毒」する意味はない
・コロナ患者に"会う"ために、ガウンなんていらない
・常時N95なんていらない

なんて、まともなんだ。
なんて、フツーなんだ。

なんで、「まとも」で「フツー」が、まかり通らなくなってしまったのでしょうね。医療機関ですら「安心」を買うようになってしまっています。

願わくば、広大も「分娩と新生児の取り扱い」を、もうちょっとフツーにしてほしいです。ガウン使用も多すぎる気がします。分娩にしろ手術にしろ「大学病院でしか出来ない対応」をやっていては、いつまでも市中での受入が拡がらないので、こういう部分も簡略化しましょう。

いや、それ以前に、うちを含め多くの地域では、まだまだ感染対策が過剰で「分娩やオペ時も簡略化」なんて話ができないんだけど。

2023年5月1日月曜日

3年間、聞いたことがない答え

「院内でクラスターが起こることも、患者が入院中・入所中に感染することも"防ぎようがない"ことを"住民にも"理解してもらう必要がある」
と、ようやく県の会議の場で言う人が出てくるようになった。

本来はこの内容を
アドバイザリーボードが、感染研が、感染症専門家が、言わなければならない。
政治家に、これを言わせなければならない。

ADB、NIID等は「立場上、言えない」とは思うけれど、じゃあ「あきらめて受け入れろ」と言わずして、どうやって医療提供体制を維持していこうと言うのか。住民が「感染を受け入れない」から、どの病院も施設も「感染を受け入れない」、そんな姿勢でいたら結局、患者は誰が診ると言うのか。

3年間、この答えを聞いたことがない。

「立場上、言えないから、保健所に言わせる」とか、なんとな~く「そういう空気になるまで待つ」って、本当にズルいと思う。誰かがやってくれると思っているのだろうか。normative functionを果たせてないじゃん。

仕方がないので、これから入院・入所の同意書には
「□入院・入所中にコロナに感染する可能性があります」
と書くことをオススメする。

医療提供体制を維持させるために必要な手段だが、こうやって末端で尻拭いしないと医療を維持できないなんて、情けないったらありゃしない。

2023年4月18日火曜日

医療計画「感染症」に関する現時点での課題と提案

「次期医療計画について、新設される『感染症』の分野に対する課題と、それに対する提案を、フリーハンドで」と言われたので、現時点で書けることを考えてみた。
正直、感染症に関する医療提供体制の「分析」がまったくない中で、計画の「課題」をフリーハンドで出しても、「それは医療計画で話し合う内容ではない」と、あとから言われそうなんだけど

-----------------

・課題1.医療計画の中で救急、災害、周産期、小児、精神の範囲は、一般的な対策以上の特殊性があるため、それぞれの分野で、休日夜間等も含めて感染症をスムーズに受ける体制の構築が必要である。
・提案1.れぞれの分野で、受診・入院の体制図を作る。同時に、すべてを統合できる感染症医療コーディネーターを県庁や県保健所に配置して、受診・入院の体制を一元管理する。

・課題2.平成29年9月「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」では、国内まん延期には「全数把握を中止し、医療体制の維持に全力を尽くす」「原則として一般の医療機関において診療を行う」とされていた。しかし新型コロナではこの計画が実行されず、過剰な対応が長く続くことで医療提供体制に支障をきたした。医療計画では、助長にフェーズを続けることなく、一部の医療機関でのみ診療する体制をスムーズに終了し、診療体制を拡大する必要がある
・提案2.診療体制の拡大を「感染症の拡大に合わせる」だけではなく、「病床のひっ迫」にも合わせて診療体制を移行・拡大していく。

・課題3.医療機関と個別に協定を結んでも、感染者が増加すると協定の想定を超えた体制が必要になる。
・提案3.一部の医療機関と協定を結ぶだけではなく、たとえば医師会との協定で「『まん延時』はすべての医療機関で通常医療として診る体制をとる」と定める。

・課題4.保健所の業務ひっ迫で医療提供体制が制限されることのないように、1つ1つの保健所が関与せずとも受診・入院・転院を維持できることが課題。
・提案4.患者の受診・入院・転院調整は、感染症医療コーディネーターが総合調整の立場で関与し、個別調整は医療機関同士で可能なスキーム図を作る。

・課題5.感染症では1次医療圏の受診体制整備が不足していると、2次、3次医療圏の医療提供に悪影響が出ることが明らかにされた。しかし区市町村だけで1次医療圏の医療提供体制を充分に整備するには限界があった。
・提案5.医療計画では「1次医療圏の区域設定」をしているが、「1次医療圏の医療提供体制の整備」も計画に盛り込む。

・課題6.感染症にも対応した地域包括ケアシステムの構築(外来、入院、転院、介護が、拒否しない体制が必要)。コロナでは「緊急時の対応」をするがあまり「平時の医療・福祉の提供」が継続されなかった。特に施設や在宅の患者に対して、医療・福祉の提供が継続できなかった。
・提案6.新興感染症がまん延した場合であっても、通常どおり医療・福祉の提供体制を維持するように、地域包括ケアシステムの枠組みの中で検討する。また、すべての患者を重点医療機関に入院させることはできないことを前提に、どんな患者をどの機関が分担するかを定める。

・課題7.人材派遣では、現場が欲しい人材(マンパワー)と、実際に派遣できる人材(数名の専門家)がマッチしなかった。特に「マンパワー不足に対応する人材派遣」ができなかった。
・提案7.人材派遣できる人材は限られるため、現場に対して「派遣できる人材」を予め明らかにしておく。同時に「マンパワーの維持」を現場に計画してもらうよう促す。

・課題8.ワクチン接種は、効率性・安全性から考えて、本来は医療機関でやるべきものであった。しかし多くの自治体で集団接種が行われてしまい、費用対効果に疑問が残る事業となった。
・提案8.最初から医療機関で実施できるように、ワクチン接種に関しても医療機関や医師会と協定を締結する。

2023年4月13日木曜日

院内で患者が感染したら、家族から怒られる

入院を受ける医療機関から言われた
・院内で患者が感染したら、家族から怒られる
・院内で患者が発熱したら、家族からコロナ検査しろと求められる
・院内で隣のベッドがコロナ+になったら、無症状でも家族から検査を求められる
・あとで症状が出て検査すれば「なんでもっと早く検査しなかったんだ」と怒られる
・家族からは「補償しろ!」とまで言われる
・だから、家族の面会なんてずっと禁止にしてほしい
・だから、症状が続いている患者はずっと隔離してほしい
・だから、院内の隔離解除前に検査も継続してほしい
・だから、入院時スクリーニング含め、検査はずっとしてほしい
・病院だけで考えてコロナ対応やるのなんてムリ。
・個室対応できるほど個室はない、かといって4人床も限界があるから、専用病棟に入れるしかない。
・そうするとスタッフに負担がかかるし、稼働ベッドが減るから、受入制限せざるを得ない。
・専用病棟が一杯になったら、それ以上は受入できない。
・院内でスタッフが感染したら1週間休むことになるから、なおさら対策を緩められない
・行政が「やるな」と言わない限り、病院は厳しい対応を続けることになる。
・「入院したらコロナに感染するかもしれないけれど、あきらめてくださいね」と住民に言えるようにならないと、対応を緩められない。
・なんで国や感染症専門家は「感染することをあきらめろ」と言わない一方で、対策を病院任せにするんだ。ズルい。
・中国のほうが、よほどメリハリがあって最高だ。
・病院が対策を緩めなければ、地域では入院困難・搬送困難がまた出るだろうが、知ったことか。そういう困難が起きないと、変えていけないだろう。
・また医療崩壊が起こって、メディアが騒いで、同じことが起こればいい。そうしないと変われない。

言葉遣いは荒いし、我々としては正直「検査を続けてベッドを埋められ続ける」のは困る。
でも、目指しているところは、実は同じだったりします。

「コロナに感染することを諦める」

これを"国民的な合意"にしなければ
医療提供体制は維持できませんよ。
中途半端に「対策を」と言われても、
泣きを見るのは医療機関であり、住民であり、保健所です。

ちなみに保健所は、医療機関からも患者家族からもクレームを受け続けています。

レース振り返り:2023年3月19日:第6回トレランフェスin岡崎

2022年3月20日
距離20.08km 時間2:19:50 平均6:57分/km
男子完走203人中28位(上位13.8%) 年代別男子40-49歳の13位。

2023年3月19日
距離19.28km 時間2:10:18 平均6:45分/km
総合33位(男子219人中33位)、年代別(40-49歳)14位

自分の記録は伸びているのに、それ以上に参加者のレベルが上がっている…。特に40代、50代で、私よりも年上の方々が、とても速い…。

<靴>
salomon pulsar trail (proではありません)
そこまでのクッションは不要。かといって、ラグが深い靴も不要。
ソリッド系の靴が合うコースです。

<走り>
「走り」は悪くないが、身体のキレが足りない。
1週間後の新城トレイルは定員締切で申し込めなかったけれど、このまま新城トレイルはムリだったな…。とても辛い新城トレイルになっていただろう。UTMFまでに、キレを上げていきたい。
レースでは「最後まで出し切る」ことができた。この「スピードを磨く距離」「出し切れる距離」の練習って、とても良いと感じた。

突き上げがくると右足首がちょっと痛い。
左足首も100%ではない。

<激坂2か所>
去年に引き続き、今年も廣圓寺 (小美観音)に上る坂をすべて走った。
最後の階段は、すべて1段飛ばしで走った。
満足!(トレランフェスin岡崎の一番の目標は「この坂を走って登る」ことになっている…。)

2023年3月10日金曜日

「ハンマー&ダンス」や「クラスター対策」を"ずっと続けた"せいで「トリアージ機能が崩壊した」

日本の感染症対策の目標設定のやり方は、戦争と同じ目標設定のやり方に似ています。

戦争を始めてしまったから「勝つ」ことが目標。だから「勝つ」まで戦争が続く。戦争してるから平和がないのに、戦争をやめない。「戦果」だけ数えて、強調される。でも実際には勝てないから、被害が続く。被害は、見て見ぬふりをされる。終わり方が分からないから、いつまでも終われない・・・。

これ、目標が間違っている、と思いませんか?

2023年3月13日(マスクは個人の判断ですと宣言される日)や2023年5月8日(5類に以降される日)は、まるで終戦記念日として設定されるみたいです。5月8日以降は、それ以前の過剰なコロナ対応を、なかったことにするのでしょう。教科書に墨を塗るように。

そしてこれからは「コロナ報告書」が色々な機関で作成されることでしょう。でも「日本の対応は甘かった。もっと対策を講じるべきだった、もっと感染者数を抑えれば死者も抑えられた」という反省や「日本のコロナ対応は上手くいった、有機的に機能した。保健所が受診・入院調整に入って重要な役割を果たした」という評価は、大変むなしいと思っています。そもそもが戦争をしてはいけないのに、戦争に負けた後で「火力が足りなかった」とか、残った領土を見て「せめてこの土地が残ってよかった」と、反省することと同じ過ちだからです。

これでは「同じことを繰り返す」だから「過ち」なのです。保健所が重要な役割を担っていると言えば、関係機関は「自分たちの仕事じゃないもん」という顔ができます。他人事でいられます。だから、そうやって同じことを繰り返します。でも、感染症を抑えることや、検査することだけが、予防なワケじゃないのです。これだけが優先されるワケじゃないのです。

よく「感染しない・させないことが目標だ」と単純化して言いますが、これは唯一絶対な目標ではありません。「感染症に感染しないことが目標だ」と言うのは「虫が付かないように野菜を実験室で育てることが目標だ」と言っているようなものです。実際には「虫が付いても全滅しない野菜作り」があるように「感染症にへこたれない健康づくり」があるワケです。人間は、無菌状態で袋詰めして売られる野菜ではありません。

よく言う「健康」についても「健康=コロナに罹らないこと」とは定義されないでしょう?検査するからコロナだと判明するけれど、ほとんど軽症なのに「あなたはコロナです」と言われたその瞬間から「健康ではない」ことにされるのでしょうか。高血圧の指標だって、時代が変われば変わってしまうものです。それなのに「あなたは高血圧です」と言われたらその瞬間から、病人になるんですか?
「自分の健康くらい、自分で決めろ、馬鹿者よ」と思うわけです。

たとえば「検査をすれば感染が防げる」って、いまだに信憑性を疑われないようですが、私は「ハンマー&ダンス」「クラスター対策」というような概念の適応から疑って、やり直す必要があると思っています。なぜならば「ハンマー&ダンス」や「クラスター対策」を"ずっと続けた"せいで「トリアージ機能が崩壊した」からです。

何度も言いますが、目標が間違っています。

目標は「トリアージ機能の確保」です。
でも、日本の感染症対策のせいで「トリアージ機能」が破壊されたままです。現に「今後も重症者の入院調整は保健所に(やってもらう)」という声が、恥ずかしげもなく医療機関から出てきています。「入院調整を保健所にさせる」というのは修辞的な言い方で、実際には「うちでは診ませんよ」と言う医療機関による門前払いです。

そこで、「目標設定」「評価指標」「概念適応」について、日本は何をどう間違えてきたのかを、以下にまとめました。

<要旨:我々の失敗は大きく3つありました。>
1.目標設定の誤り
目標は「コロナを抑えること」ではなく「医療提供体制(トリアージ機能)の確保」が適切だった。

2.評価指標の誤り
評価は「感染者数・コロナ死者数」ではなく「医療提供体制(トリアージ機能)の維持」が適切だった。

3.概念適応の誤り
「ハンマー&ダンス」や「クラスター対策」という概念は、国内まん延フェーズ後のコロナに適応させてはいけなかった。一次~三次予防、特に一次予防(コロナに罹っても簡単には健康を損ねない身体でいること)に務めることが適切だった。

<説明1.目標設定の誤り>
日本の感染症対策は、2020年2月の最初から
「コロナの感染者数を抑えること・コロナの死者数を抑えること」を、なにより優先させてきました。優先させてきた、と言うのでは生ぬるく、これしか考えてこなかった、という方が正しいでしょう。国民の生活の目標すべてを「コロナの感染者数を抑えること・コロナの死者数を抑えること」に結び付けるように進めてきました。いまだに「コロナ死者数」が最も重要なアウトカムの指標として用いられています。

私は、この目標設定が間違っている、と思っています。

健康危機管理における最後の砦は、医療提供体制の確保、つまり、トリアージ機能の確保です。ウイルスがゼロにならない、まん延する、死者も出る、そのことを"前提"として、社会機能を維持させることが、重要だと思っています。

<説明2.評価指標の誤り>
感染者数がいくつまで抑えられたら良しとするのか、死者数がどの程度なら許容するのか、議論の上で決めた覚えがありません。「コロナ死者数を減らすことが目標」って、誰が決めたのか。なぜ「コロナ死者数」だけをアウトカムの指標にしているのか。

日本はいまだに、コロナ患者数と死亡者を数え続けています。これを続けて、たとえば医療機関や高齢者施設に検査を推進し続ければ「コロナ死者数」は今後も増え続けて当たり前です。「コロナ死者数を減らす」ことは絶対にできません、なぜならコロナ死者数は「増え続ける数字」だからです。そして「増え続ける数字」のために、医療機関や高齢者施設の「入り口」が閉ざされます。

ですから、この評価指標も間違っている、と思っています。

健康危機管理における最重要評価項目は、医療提供体制の維持、つまり、トリアージ機能の維持です。ですが、私たちが「コロナ患者数とコロナ死者数」を評価指標にしてきたことによって、コロナのみならずすべての疾患で、トリアージ機能が崩壊してきました。

<説明3.概念適応の誤り>
「ハンマー&ダンス」や「クラスター対策」の概念が、有効な感染症はたしかに存在するでしょう。ただそれは、closedな空間で、隔離が可能で、感染の足がそこまで早くない、というような適応条件があるはずです。サル山のような実験的で閉じた集団であれば、対策が計算通りに功を奏することが考えられます。

でもコロナはボーダーレスな感染症でした。感染宿主であるヒトは、実験的な空間で暮らしているのではなく、openな空間で生活していて、計算通りに動くアルゴリズムではありませんでした。そんな生身の集団であるヒトに対して、コロナに「ハンマー&ダンス」や「クラスター対策」の概念を当てはめ続けることは、果たして妥当だったのか。

私は、この概念の「適応」も、ずっと誤ってきた、と思っています。

コロナが始まって3年経ちますが、コロナ以外のすべてから「一次予防、二次予防、三次予防」という言葉が、取り組みが、すっかり、どこかに行ってしまいました。
通常「予防」はこんな分類をされます。

・一次予防:病気を予防する、生活習慣の改善、健康教育
・二次予防:早期発見/早期治療
・三次予防:罹患後の悪化予防、早期回復

ここで「とにかくコロナを抑える対策」に頼ったがために、その対策以外のことが消え去ったのです。でも本来は以下のような予防をしておきたかったと思っています。

・一次予防:コロナになっても簡単には死なない身体をつくる
・二次予防:自分で調子が悪いことに気付き、しっかり休む
・三次予防:次の感染に備え、予備力を高める

<今後の課題>
これらの反省を活かすのは「次のパンデミック」ではありません。
次のパンデミックを持ち出すまでもなく、災害と復興(南海トラフ)や2040年±10年の多死社会が、確実に訪れる未来です。現在の医療提供体制は、コロナで破壊されたまま、まったく準備できていない、と思っています。

医療提供体制を整備するために、全国で第8次医療計画策定に向けて「連携協議会」を作ることになりましたが、ただ単に連携協議会を作っても機能しません(誰もが診たくないと言って、コロナの二の舞になるから)。連携協議会を開く前に、そもそも国がどのような医療計画をデザインしていくかを、どれだけ示すことができるか、にかかっていますが、それも心配です。「看取り」も「災害時」も、受診・入院調整をやれる体制がなくて「保健所がやる」ようでは、失敗なのです。

災害と復興(南海トラフ)や2040年±10年の多死社会の「目標設定」を、コロナの二の舞にしたくない、と思っています。
災害時にコロナ対策みたいな目標設定でやってたら、死んじゃいますからね。

一番の問題は、これら3つの誤りを"大本営"の先生方に自覚してもらうことが、大変むずかしいという点です。

2023年2月13日月曜日

レース振り返り:2023年2月12日:第39回三河湾健康マラソン:10km

レース振り返り:2023年2月12日:第39回三河湾健康マラソン:10km

<結果>
距離:10km
記録:41分13秒
順位:40歳以上男子356人中50位。→あんまり意味ない順位だな。

<靴>
Nike Air Zoom Tempo Next% model 2021

<走り>
目標は「40分切り」だったけれど、調整不足により40分どころか、41分台になってしまった。身体は動いていたけれど「体重が重い」って感じで、これでは後半失速してしまうね。

でも、収穫はあった。

・収穫1
今回の収穫は、4km地点までは、40分切りペースで行けたこと(そのあとタレたのは仕方がない)。豊川シティマラソンでは、もっと早々にペースダウンしていたので、前回よりも長くペースを維持できたことはよかった。

・収穫2
ケイデンスが比較的一定で、豊川シティマラソンよりも「2歩」少なく走れたこと。豊川よりも合計タイムは遅くなったけれど、少ないケイデンスでこれだけの走りができたので、今のフォームは間違っていない。このケイデンスでも「スピード」は出せるように走っていきたい。

蒲郡1km毎

経過時間

平均ケイデンス

豊川1km毎

経過時間

平均ケイデンス

3:47

3:47

85

3:34

3:34

92

3:59

7:46

86

3:59

7:33

87

3:51

11:37

86

4:06

11:39

86

3:59

15:36

85

4:12

15:51

87

4:07

19:43

85

4:10

20:01

87

4:21

24:04

85

4:12

24:13

87

4:19

28:23

85

4:11

28:24

87

4:18

32:41

85

4:18

32:42

87

4:22

37:03

84

4:06

36:48

87

4:08

41:11

85

3:57

40:45

88


<今後の目標>
今のフォームで、もっと楽に走れるように、超スロージョグ。
閾値走も週1回くらい入れたい。ジョグの平均速度を上げたい。
UTMFに向けてロングジョグ+山。





2023年2月10日金曜日

「感染は徹底的に抑え込む」という訓練なら、やらない方がマシ

「感染症対応の訓練を充実させる」とか「都道府県に調整役を1人置く」とか、そんな話が先行してしまっては、必ずコロナと同じことが繰り返される。

特に「訓練先行」だと、結局、訓練では「どうやって感染症を抑えるか」という方向にしか考えられない。
訓練をする前に、そもそも、感染症に対する「意思決定」や「対処の方向性」を、改めておく必要があるが、このステップが飛ばされてしまう。
この感染症にどう対峙するか、という合意形成が、最初から飛ばされてしまう(コロナと同じ。あれ?戦争も同じ?)。

たとえば「コロナワクチンの集団接種会場の訓練」が良い例で、そんな訓練をやる前に「そもそも集団接種なんてやめようぜ」という話は、最初からあった(費用対効果が最悪だから)。でも、全国どこでも集団接種をやることにされてしまい、「訓練」をせざるを得なかった。
集団接種の訓練がどんなに上手くいっても、そもそも「集団接種を計画させない合意形成」が機能していれば、本来この労力をかけることはなかった。コロナワクチンの不要な「集団接種」のために、どれほどの人材と時間とカネを注いだことか。

訓練は、やればいいってモノじゃない。
コロナ対応の先入観で同じことを訓練しても、同じ結果になるだけだ。

「都道府県に調整役を1人置く」ことが、解決にならない理由も同じ。
結局、合意形成が飛ばされて「感染症を抑える」ことから抜け出せなければ、調整役が1人いても何もならない。
「フェーズごとに対策を変えていく」ハズだったのに、大本営がコロナを特別扱いし続けては、都道府県の調整役に出来ることはない。

地域全体で患者を診ていくには、患者を1つの病院に集める方法ではコロナの二の舞になるので、最初から「地域全体で患者を診ていきましょう」という話にしておかなければならない。
そうであれば、当然、医療関係者全員がタイベックを着るなんてムリだと分かるし、入院調整をすべて保健所がやり続けるなんて誰のためにもならないことが分かる。

「感染は徹底的に抑え込む」という訓練になるのなら、やらない方がマシ。
これからの感染症の訓練は、連絡や受診調整、搬送といった従来型の訓練ではないものが、計画されるハズだ。
訓練の前に、まず「何をどこまでやるのか、合意形成をして」おくことに、なるハズだ。

2023年2月1日水曜日

コロナは、もう、感染症の問題じゃない

医療機関には「他人にうつすから隔離する」という発想を、やめてもらいたい。
「高齢者施設のクラスター防止対策」という発想も、やめてもらいたい。

コロナは、もう、感染症の問題じゃないです。
介護、一次、二次、三次医療機関がどうやって患者を分担していくかという「通常の医療提供体制の問題」です。

コロナは現に、コロナで死ぬのではなく、基礎疾患+年齢で亡くなる疾患になっています。
ADBの専門家は「循環器系で死亡する場合、コロナ死とカウントされない恐れがあり、死亡は過少集計している可能性がある」なんて言ってますが、逆ですよ、逆。
なんでもかんでも「コロナ死」にしてカウントしてきたんです、過大集計もいいところ。
そんな扱いになっているので「コロナ死に至る患者」は今後も出続けるのですが、感染症指定医療機関や三次医療機関だけで診続けるには、キャパが足りませんし、役割が違います。

今後
三次救急の、入院や救急外来を、コロナや誤嚥性肺炎だけで埋めていいんですか?
三次救急を、高齢者の大腿骨骨折や、超高齢者の悪性腫瘍だらけにしていいんですか?
三次救急を、高齢者施設からのCPA受け入れ専用窓口にしていいんですか?
って話です。

「他人にうつすから隔離する」という発想のせいで、病院と施設は拒否し合います。だから病病連携も、病介連携も、お互い滞って、すぐキャパオーバーになってしまいます。
「他人にうつすから隔離する」という発想を続けている限り、いつまでも「有事の緊急対応」という発想から抜け出せません。
コロナで必要なのは、有事の緊急対応ではなく「通常の一般対応」です。

だから、必要なことは
「コロナ感染症の有無」で医療を分けるのではなく「トリアージ機能」で医療を分けること。
誰をどこで救い、誰をいつ"諦める"のか、役割で医療を分けること。
高齢者施設がいつまでも「看取りはできません」と言っていては、三次救急がますます看取りの場になっていきます。

これは地域医療計画につながっていきます。
だから、地域医療計画は、感染症を単体で考えても、絶対にうまくいきません。
ましてや「都道府県が医療機関と協定を締結した」からって、それで医療提供体制が維持できるワケがありません。
common diseaseとなった感染症を、限定した医療機関で回していては、あっという間にキャパ越えして、協定の意味がなくなるからです。協定はあってもいいけれど、感染拡大時こそ協定なんて実行不能です。

これは、コロナ当初から、ずっと続いている問題です。
「確実に入院につなげられるベッド」を数字の上では確保しましたが、絵に描いた餅でした。
災害医療の協定だって「締結したら100%実行できる」なんて、現場は思っていません。これと同じです。

コロナが終わっても、地域医療計画・地域医療構想は終わりません。むしろ2040年、2050年にむけて課題が増えていきます。
誰をどこで救い、誰をいつ"諦め"、トリアージ機能をどう運営していくか。医療資源が乏しい地域こそ、医療介護連携も含めて本音を出しておくのがポイントだと思っています。
そしてこれは、協定を締結したり、ベッド数を決めたりすることよりも、もっと難しい作業です。

廃止できるのに廃止できない「受診相談窓口」

体調相談を電話で受ける「受診・相談センター窓口」は、コロナ前には存在しなかった。
保健所が受ける個別相談は、難病や精神といった「本当に支援が必要な場合」だけだった。

でも、コロナが始まって「熱が出たけど、どうしたらいい?」「会社に行って良い?」「行政は何もしてないじゃないか!」といった幼稚な電話ばかりが大量になったので、仕方がなく「相談窓口」を設けた。
保健所には、そんな「支援なんて必要のない人たち」にまで答えるキャパはない。むしろ、そんな電話に忙殺されて、「本当に支援が必要な人たちへの支援」に支障を来してきた。

5/8以降、5類扱いになるのだから、本来であれば「コロナの電話相談窓口」は、廃止していい。
でも、「コロナの電話相談窓口」を廃止してしまうと、コロナ当初の頃のように、保健所の代表電話が鳴りやまなくなる。
それが分かっているので、どこも保健所は、本当は不要な「受診相談窓口」を、5/8以降もやめることができない。
ものすごくカネがかかってる不要な窓口なんだけど、やめられない。

健康相談なんて家族や友人にすればいいし、必要なら受診して相談すればいい。
出勤するかどうかなんて、自分で決めればいいし、会社に相談すればいい。
そーいう対応ができずに、困ったら即、何でも保健所に電話してきてしまう。
これも、公助が足りないからではなく「行き過ぎた自助」の結果だ。

そんなこんなで受診相談窓口に限らず「やめることができないこと」だらけだ。
本当に敗戦処理は難しい。

あーあ。
こんなことばかりやってて、公衆衛生って、その名目で、なにをしてるんですかね。
なんのためにあるんですかね。

2023年1月27日金曜日

相変わらず「感染症を抑える」ことしか考えていない感染症部会

本日、開催された第70回厚生科学審議会感染症部会の資料では、「事務局案」が加筆修正され「審議後決定文書」になった。

部会の前後でどのように加筆修正されたのかを見てみると、まだまだ「感染対策を徹底する」という方向に巻き返しが入っただけで、ため息が出る。相変わらず「感染症を抑える」ことしか考えていない、そういう姿勢がもたらす悪影響を考えていない。

この調子では、この感染症部会も、利害関係者だらけなんじゃないの?と思ってしまう。
こんな意見ばかり出てくる部会では、冷静な議論なんて出来ないから、メンバー変更したほうがいいと思う。
って、3年前と同じか。

<「事務局案」→「審議後決定文書」で加筆修正された部分の抜粋>
・他方で、高い伝播性により感染者が増加し、医療提供体制への負荷が高くなっているほか、死亡者が多くなっていることには留意が必要
・他方で、免疫逃避能を有する変異株が確認されており、今後も新たな変異株が出現する可能性について留意が必要。
・新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、一年を通じて複数回の流行があり、多くの感染者や死亡者が発生していることなど、他の5類感染症と異なる特徴や社会へのインパクトを有し、それにより新型コロナウイルス感染症以外の対応も含め、医療提供体制に影響が大きいことから
・感染対策の変更やその時期等により、国によって変更後の流行のレベルに違いが見られるとの指摘があることを踏まえ、位置づけ変更後の流行のレベルをなるべく低く抑えるための取組みが、引き続き求められる。
・位置づけの変更後も、流行を繰り返すことが想定されることから、発生動向の正確な把握は引き続き重要である。このため、患者の発生動向や変異株の発生動向などの重層的なサーベイランス体制を構築し、監視体制を維持する方向で検討が必要である。
・基本的な感染対策の徹底を呼びかけることを検討するべきである。

2023年1月26日木曜日

組織の能力を最大化すること

査定する意識が強い「人事評価」って
評価する側にとっても、評価される側にとっても、
本当に害だな、と思います。

人事評価って、組織の能力を最大化するためにやると思うのですが
組織の能力を最大化するどころか、実際にはやる気を削ぐ、さらにはパワハラの原因にすらなるからです。
だって、評価する側には、評価する能力なんてないのに、評価することになっているのだもの。
それに、個人を人事評価すると、個人の責任にするでしょう?本当は組織の責任なのに。

評価は組織に対してだけで充分で、個人への評価は不要だと思っています。

私的利用しすぎなアドバイザリーボード

東京都が「新型コロナウイルス感染症の法的位置付けの見直し等に関する要望」を提出している。
この要望書が言っていることは「国からカネをくれ」ってことなんだけど、書いてある内容には唖然とする。

---要望書の抜粋---
・当面の間、必要なサービスの提供や公費負担を継続する
・診療報酬上の特例加算措置を継続する
・自治体が医療機関に協力金を支払う場合、国費による支援を行う
・必要なタイミングで自己検査を確実に実施する
・高齢者施設等において感染者を早期に発見
・病床確保料の支給を継続
・当面の間、臨時の医療施設の継続
etc。。。

これじゃあ、いまと何も変わってないじゃん!
全部いまと同じじゃん!

こんな内容では、5類にしても何も変わらない。
こんな要望書を"誰が"作ったんだろう。
東京都。

しかも、なぜかアドバイザリーボードの資料として提出されている。
ADBは、ADB自身を私的利用しすぎだ。

2023年1月20日金曜日

トリアージ機能は、平時からやっている平時のこと

「娘がお腹が痛いと言って寝込んで、もう3日も食べていない。コロナ自己検査して"陰性"だったから受診しようとしたら、どこも断られた。どこに受診させればいいんだ!保健所はどう責任を取るんだ!」
と、父親が怒鳴り込んできた。

そんなこと保健所に言われても困る。
アドバイザリーボードに言ってくれ。
日本医師会に言ってくれ。

まず、医療機関による応召義務違反がここまで平然とまかり通るようになってしまったのは、感染症対策のせいです。
次に、まじめに患者を診てくれる医療機関では、患者が集中するから医療が逼迫するようになってしまった、これも感染症対策のせいです。

なんで"正直者が馬鹿を見る"みたいな状況になっているのに、相も変わらず同じ轍を踏むの。

感染症対策のせいで、緊急時どころか平時の医療すら維持できなくなっています。よく「平時から緊急時への切り替えが大事だ」と言うけれど「緊急時には平時のことをやらなくていい」ってワケじゃないんです。平時の枠組みの中で診ることができなければ、緊急時だからって診れるようにはなりません。それはこの3年間で何度も繰り返してきたことです。

トリアージ機能は、平時からやっている平時のことです。それを緊急時にも続けることが何より大事な"体制整備"です。「トリアージ機能が破綻」しているのは「緊急時の対応ができていないから」ではありません、緊急時にほだされて「平時の対応をできなくさせているから」です。

「平時から緊急時への切り替え」なんかより「緊急時にも平時の機能を継続すること」のほうが、よっぽど大事だと痛感しています。

2023年1月18日水曜日

病院幹部は他人事。

〇〇科ごとの「病院の縦割り業務」って、本当に害です。本当は組織の課題なのに、科が決まっていると科ごとに押し付けあう。それどころか、個人にまで押し付け、個人の責任にされてしまう。でも組織が腐っていると修復不能になっている。

専門性を持つことは、研鑽を積むただの手段のはずが、組織的に「専門以外は知らんぷり」を決め込む免罪符に使われている。

患者のためにならないのなら
医者のためにもならないのなら
医者を守るどころか追い詰めるくらいなら
いっそ〇〇科なんて制度をやめてしまえ
専門医なんて無くなってしまえ

と、前々から思っていますが
今回は流石に、いい加減にしろと言いたい。

責任を個人の医者に押し付けて、組織を腐ったままにしているから、精神科も感染症も辞めていったし、そこにあぐらをかいてHIV診療はできないままなんだよ。それでも科ごとの押し付け合いを続けているから、いまだに辞めていくんだし(呼内の部長もやめていったね)、医者が健康を損なうし、コロナ患者の受け入れも拡がらないんだよ(呼内任せ、ICU任せにしてたら、そりゃムリでしょう)

って、どうして病院幹部は他人事なのかしら。

医療機関や高齢者施設の「面会禁止・制限」は、続ける道理がない

医療機関や高齢者施設は
いつまで面会禁止を続けるんですかね?

それでいて「施設内でノロが拡がりました」って届けてくるんやで?
笑ってしまう

ノロ自体は仕方がないものです。
責めるつもりはないし
手洗いしっかりしてねと言うくらいだし
担当者さん大変ですね、と、ねぎらってあげたいです。

でも、施設がノロも防げない対応してるのに
コロナの面会禁止を続ける道理がないでしょう。
面会禁止や制限が、意味のある感染対策になってないんだから。

我々は、一体何の対策をしているのでしょうか。
ただ煽っているだけです。

2022年12月26日月曜日

公衆衛生の教科書に載せたい「日本の失敗例」

入院ができない。

「コロナとインフルの同時流行に備えよ」なんて、どうでもいい。
「熱が出たら、まず自己検査キットを使おうキャンペーン」なんて、どうでもいい。
「一人一人の感染対策」も「年末年始で接触機会が増加すると患者が増える」のも、どうでもいい。
軽症患者が列を成そうが、感冒薬がほしい人に処方ができなかろうが、住民や医者がクレームを言ってくるだけだから、マジどうでもいい。

そんなことよりも、
そんなことよりも、
最優先で解決が必要なのは、
「入院ベッドがない」ことだ。
全県下で入院調整が不能になっていることだ。

"病床使用率"なんて、いくらデータを集めて分析しても無意味ですからね。
ずーーっと前に言いましたが、分母を大きくすれば見かけ上の病床使用率なんて下がるので、まったく実態を反映せずに「さもベッドが空いているように見せる」ことはできます。
でも実際には入院できません。

この状態では、どれだけ緑から赤をトリアージしても、なんの意味もない。
「医療逼迫宣言」なんて、なんの意味もない。
アピールでは、なにも問題を解決しない。

厚労省はもはや「年末年始は診療体制が通常とは異なります」というリーフレットを作ることしかできていないが、こんな"リーフレットを作る"ことは、国家公務員の仕事じゃない。体制不備を治すという仕事こそ、厚労省がやるべきことだろう。

入院調整が不能になっているのに、何も変更しないということは、「入院できない人は、入院させる必要がない」という理解でよろしいか。アドバイザリーボードは「入院できなければ、あきらめればいい、と考えている」という理解でよろしいか。現行の感染症対策は、そう考えている、との理解でよろしいか。
(ちなみに「決めるのは政府だ」と言うエクスキューズは、たとえ正しくても、プロがそれを言っちゃあオシマイよ、と思います。)

感染症対策の、政策的な失敗のせいで、医療提供体制の機能不全が起きているのに、放置しているということは、アドバイザリーボードが「それでいいと考えている」としか、言いようがない。そうでなければ理屈が通らない。
入院できないけれど、入院しても・しなくても、結果は同じだから、問題ない。だから「年末年始に入院ベッドがない」のは、政策的な失敗ではない。だから体制変更をしない。アドバイザリーボードはそう考えている、と思わなければ、理屈が通らない。

ある意味、これは正しい。
たしかに入院しているのは、ほとんど基礎疾患のある高齢者で、純粋にコロナが悪化して入院が必要になってるワケじゃないからね。

でも、そんな社会的入院の陰に隠れて、「本当に医療が必要な人」に、医療が提供できなくなっている。まれに発生する「治療すれば改善する比較的若いコロナ患者」や「老若男女を問わず、他の疾患で入院が必要な患者」が、あおりを喰っている。
この3年間ずっと同じだ。

コロナを特別扱いしすぎる感染症対策のせいで、大したことない患者の医療も特別な扱いになってしまい、そのせいで「本当に医療が必要な人」に、医療が提供できなくなっている。
これを"感染症対策の政策的な失敗"と呼ぶ以外、なんと呼べばいいのか分かりません。ぜひ公衆衛生の教科書に「日本の失敗例」として載せてほしい。「日本の医療崩壊は、コロナ患者の増加によってもたらされたものではなく、純粋な政策の失敗によるものだった。」と書きたい。

いままでも「入院できない」状況が何度もあったが、それは年末年始ではなかった。でも今回は、一年間で医療提供体制が最も脆弱な年末年始だ。
そして、この状況においても、感染症の政策を変更することはなく、過ぎ去ることを待つことしかしない。年末年始に入院調整が難航すると分かっているのに、アドバイザリーボード等々は何もしない。トリアージも価値判断も政策の優先順位付けもせず「すべてのコロナ患者を救う」なんて八方美人の発想では、医療提供体制はもたないのだが。

だから、せめて、祈るだけ。
社会的入院ができなくても知らんけど、「本当に医療が必要な人」が、きちんと入院できますように、と祈るだけです。
いまできることは。

2022年11月24日木曜日

レース振り返り:2022年11月20日:豊川シティマラソン:10km

レース振り返り:2022年11月20日:豊川シティマラソン:10km

<結果>
距離:10km
記録:40分52秒(自己ベスト)
順位:男子総合539人中63位。40歳以上男子144人中22位。

<靴>
Nike Air Zoom Tempo Next% model 2021

<走り>
1km通過:3'37/km
2km通過:3'58/km
3km通過:4'06/km
4km通過:4'13/km
5km通過:4'09/km:3秒オーバー
6km通過:4'17/km:20秒オーバー
7km通過:4'07/km:27秒オーバー
8km通過:4'19/km:46秒オーバー
9km通過:4'06/km:52秒オーバー
10km地点:4'00/km:52秒オーバー

「1秒を削り出せ」と思いながら走ったので、「ギリギリ、耐えた」って感じだ。キロ3'30からのスタート。この先頭はもちろん早すぎるし、このスピードで長くは続かないとはいえ、3kmや4kmの地点でキロ4を越えてしまうのは、いただけない。さらに後半5kmは、平均でキロ4'10くらいになってしまった。
10kmは「休む間」なんてない。「ちょっと休憩」と思っていては、40分を切れない。
ゴール前スプリントで年上の人に負けた…。スプリントをいきなりやろうと思ってもフォームが崩れるだけだ。ゴール前に来るまでに上げておきたい。

<ダメージ>
なし

<過去の10kmの履歴>
・45分24秒:2018年11月11日(微熱あり)
・43分40秒:2018年11月18日
・42分44秒:2019年1月20日
・52分38秒:2019年11月17日(救助活動でロスあり)
・40分52秒:2022年11月20日

今回、10kmを本気で走ったのは実に4年ぶりであった。
40分を切りたい、と思っていたので、その目標が達成できなくてとても残念な気持ちと、とりあえず自己ベストは出したという多少の安堵が得られたレースになった。でもやっぱり、このままでは終われない、と思っている。40分を切らないと話にならないし「絶対できる」と自分に期待している。本当にしんどかったけれど、終わってみれば「もっと追い込める」とも思ったので、40分は射程圏内だと感じた。

<学んだこと>
・スピード練習が大事!距離は短くてもいいから、レースペースよりも速いペースで走ることを、普段からやっておきたい。
・レースでは、10kmの短さを意識して臨みたい。「ちょっと休む」という誘惑を捨てて、どれだけ追い込めるか。一方で、どれだけ身体を固くせず、慣性で走りに乗れるか。
・40分を切るには、最初から、前半から、ずっとキロ4を越えないこと。

2022年11月22日火曜日

走ることについて:大会記録の履歴

大会記録の履歴がたまったので、アップデートしておく。

・2022年11月20日:豊川シティマラソン:10km
40分52秒 男子総合539人中63位。40歳以上男子144人中22位。
・2022年11月6日:2022あいの土山マラソン ロードのフル
3時間58分23秒 239位(申し込み930人) 撃沈
・2022年5月15日(41歳):第2回滋賀湖南市十二坊トレイルラン&ウォーク
22km 1600mD+ タイム2:55:42
順位:男子52位/414人中、総合56位/505人中
・2022年4月10日:第7回奥三河パワートレイル 70k
13:07:53 男子総合224位/302人中、男子40代110位/152人中
・2022年3月27日:OSJ新城トレイル2022 32k
出走668人完走612人中194位 タイム:6時間23分21秒
・2022年3月20日:第5回トレランフェスin岡崎:20km:2時間19分15秒 男子完走203人中28位(上位13.8%) 年代別男子40-49歳の13位。天候に恵まれた。
・2022年3月6日:にしおマラソン:DNS
・2021年12月26日:第2回ラグーナビーチ年忘れ30キロアンドハーフマラソン30km
タイム2:17:10 男子総合9位/出走52人中/完走45人中。男女総合10位。
・2021年10月30日:烏帽子スカイラン:DNS
・2021年9月26日:志賀高原エクストリームトレイル54km男子
タイム10:14:56:総合131位/出走285人中/完走249人中(出走した中の上位45%)、年代別(40歳代)52位/97人中/完走87人中、男女あわせてロング 出走335名/完走293名/完走率87.5%
・2021年7月23日:The4100D マウンテントレイルin野沢温泉2021
タイム12:32:15 65km男子:完走405人中261位(出走した中の上位48%)。エントリーは男女で700人超。 ■65km男子総合:申込者数 635 出走者数 539 完走者数 405 リタイア数 134 完走率 75.1%
・2021年5月22日(40歳):経ヶ岳バーティカルリミット:コロナで中止
・2021年3月28日:OSJ新城トレイル2021
出走636人完走579人中163位(上位26%) タイム6:04:42
・2021年3月21日:トレランフェスin岡崎:20km:2時間29分53秒 男女完走238人中30位 上位12%。大雨でした。
・2020年3月29日:穂の国ハーフマラソン:コロナで中止
・2020年3月22日(38歳):トレランフェスin岡崎:20km:2時間21分40秒(上位23%) トレラン初レース。楽しかった!もっとゆっくり走って景色を楽しまなきゃ勿体ないと思った。
・2020年2月9日(38歳):リビングメーテレマラソン:フル:3時間38分05秒(上位15%) 「フルはもういい」と思っていたのに、ランを続けてきたから、また挑戦してみようかな、と思った。でもコースのアップダウンで足やられ撃沈。
・2019年11月17日(38歳):豊川シティマラソン:52分38秒(救助活動でロスあり)
・2019年10月26日(38歳):おんたけ湖ハーフマラソン:ハーフ:1時間37分14秒(上位14%) なんだもっと行けたなあ。この大会で初めて「大瀬和文選手」を知る。これ以降「トレラン」というものがあると知り、大瀬選手も上田選手のお友達で、そんな世界の人々が沢山いることを知っていく。あ、そもそもこの大会に出ようと思ったのは、正和が王滝村に住んでいたから、この大会を選んだのでした。彼がいなかったら王滝村に行こうと思わなかったし、トレランにも出会わなかった、というワケだ。おぉ、正和ありがとう、本当に。
・2019年6月23日(38歳):乗鞍天空マラソン:フル:4時間26分44秒 二日酔い明け明け。この大会で「上田瑠偉選手」を初めて知る。あまりに早く折り返してきたのでリタイアした人かと思ったほど。
・2019年3月24日(37歳):穂の国ハーフマラソン:ハーフ:1時間38分5秒(上位15%) マラソンの川内選手みたいに「とにかく大会にどんどん出てみよう」と思って、地元の大会を次々とやってみた。
・2019年1月20日(37歳):新城マラソン:10km:42分44秒
・2018年12月9日(37歳):尾張旭森林マラソン:フル:3時間35分36秒 人生初フルマラソン。死ぬまでに1回くらいはフルマラソンやってみてもいいかな、と思ってトライした。走り終わって「もういい」と思った…。
・2018年11月18日(37歳):豊川シティマラソン:10km:43分40秒
・2018年11月11日(37歳):豊橋みなとシティマラソン:10km:45分24秒(微熱あり)、このレースで初めて自分のタイムを知る。これまでは「お金払って走るなんて信じられない」と思っていた。
・2018年3月::穂の国ハーフマラソン:DNS

2022年11月11日金曜日

レース振り返り:2022年11月6日:2022あいの土山マラソン

<結果>
距離:ロードのフルだが、累積標高477mD+あった。
順位:239位(申し込み930人)
記録:3時間58分23秒

<概要>
今回のレースは、ひどいパフォーマンスになってしまった。
「ひどいパフォーマンスになってしまった」ことを、忘れずにいたい。

<靴>
Salomon sonic 5 balance

<補給>
ジェル3つ
エイドの水分はしっかり摂ったので、脱水にはならなかった。

<当日までの準備>
・練習
テーパリングがうまく行かない。レースを控えた週にも練習をして、練習の疲れがちょっと残った状態でレースに突入してしまう。それは、レース前までの練習が満足いくほど積めていないから、レースの週も練習をいれてしまうのだと思う。
今回は、前日は練習しなかったけれど、やっぱり筋肉疲労が残っている状態だった。

・カフェイン断ち
レース前に1週間のカフェイン断ちをしている。ただ、今回は、カフェイン断ちのせいで、頭が痛かった。レース前日になってようやく頭痛が減ってきたかな。もともとコーヒー飲みすぎなんだろうな。

<当日の走り>
6か月ぶりのレースで、荷造りや準備がままならない(レース終了後の着替えとか、汗拭きシートとか、忘れがち)。
申込時の目標は2:59:59。ただし、積んだ練習も体調もイマイチ、感冒症状ではないけれど。会場に着いてコンタクトに替えたら、なんだかフワフワしていた。

・スタート~3km
今回は、走っている間、ずっと反省しっぱなしだった。
走れるかどうか、走ってみないと分からない状態だったが、最初の3kmは、キロ4ペースで本当に気持ちよく走れた。心拍数はいきなり150以上だったけれど、全然しんどい感じがなくて、「おっ、意外といけるじゃん。このまま行けたら気持ち良いだろうなあ」と思った。ただし、ちゃんと気持ちよく走れたのは最初の3kmだけ。
3kmに到達したときに、あれ?まだ3km?と思ってしまった。つまり、今日はそんな感触で、いつもより距離が長く感じてしまうようなコンディションなのだ。ここまでで既にアップダウンは感じられた。

・10km
さらに坂を通過して10km地点に到達が48分・・・お、遅っ。
スピード練習や、インターバルをやっていないと、こーいうことになる。近々、10km40分を切りたいと思っているのに、こんなスピードで大丈夫か?私、なんだか足が遅くなってないか?

・ハーフ
ハーフ通過1:42、うーん、マジで遅い!。それにハーフが終わった時点で、足底が痛くなり始めて、脚が終わってしまいそうな状況だった。こりゃダメ過ぎる。トレイルで21km走っても、こんなに足底が痛くなったり、脚が終わることもない。それなのに、今日はこんなにしんどい。ロードでのロングの練習が足りなかった。
ハーフまでにも坂が多かったが、トレイルを走っているのだから、坂道で沈んでたまるか、行けるやろ、と思っていた。トレイルに比べればこんな坂!と黙々と進んでいった。

・ハーフ~30km
ハーフ過ぎて、目標を変更、もはやサブ3とか言っていられなくなり「完走すること」だけを考えた。
山を1つ越えたあとの田園風景は、なんと向かい風だった。22km地点、急に腹痛がきて、ロードのレースで初めて歩いてしまった・・・。なんという失態。
黙々と進むことはできたし、過去の反省から「残り何km」を数えるのではなく、10kmずつ進むことを考えることで「まだ着かないのか」と思うことはなかった。それでも、収容車を見るたびに、リタイアしてしまいたい、収容車に乗ってしまいたい、と思った。
30km過ぎて、右足は靴の中で出血しているなと分かった。レース後、下手に伸びた爪が隣の指に当たって皮膚を破ってしまっていた。左足は小指に血豆が出来ていた。内転筋にも筋肉痛が来ていた。もはやフラフラ。

・30km~ゴールまで
脱水でペースダウンしているとしたら勿体ないので、エイドでは水分摂取をしっかりやった。ジェルも摂った。これ以上、お腹に入れるのはムリだったほど入れたので「脱水やハンガーノックでペースが遅い」ということはなかった。だから、遅いのは今の実力ってことだ…。
残り10kmなんていつも通りだと思ったけれど、どんどん抜かれていく。ここまで攣らずに来れていたが、とうとう38km過ぎで右のハムが攣った。

<ダメージ>
今回の筋肉痛は、内転筋、右ハム、左大腿四頭筋。
腓腹筋はまったく問題なし。
翌日、階段の昇降で苦労することはなかった。
この「ダメージの少なさ」は、フォームを改善している賜物であろう。

マラソンは30kmまでは楽をする競技だ、と思っているし、30kmまでは温存しておきたかった。でも今回は、温存どころか30kmよりも手前で使い果たしてしまった。ダメすぎる。「ロードはそれなりになる、サブスリー目指す」なんて思っていたが、むしろ遠ざかっている気がしている。

ジョグは大事。ジョグで疲れず走ることは本当に大事。
でも、それと同じくらい、スピード練習も大事。

<学んだこと>
フォームはまだ改善の余地がある
不整地ではなく「ロード」を走る、ロードに耐えられる足を作る
スピ練や、インターバルを少なくとも週1やる
ロードのロング(20kmや30km)もやる。でも距離だけを求めないこと。
足はクリームを塗ること
足底マッサージすること

2022年11月8日火曜日

感染症専門家の怠慢

コロナというcommon diseaseを「発熱外来に集めて診よう」とする発想にこそムリがある。


やろうとしている対応は
・コロナ自主検査→陽性→自宅療養
・コロナ自主検査→陰性→オンラインや電話で診療→検査なしにタミフル処方

これで「発熱外来に人が集中しないようにする」という。

背景にあるのは
・そもそも「発熱外来」が足りない
・発熱患者を診てくれる開業医が足りない
・患者が検査を求める

なぜ医療機関が足りないのか
・そもそもコロナを「発熱外来で診る」疾患にしているから。

なぜ多くの患者が受診するのか
・コロナを検査するから。

本来は、かかりつけ医にせよ、発熱外来にせよ、医学的に治療が必要な人だけが受診・検査すればいい。「風邪に抗生物質は効きません、家で寝ていてください」と言えばいい。
しかし現状は、それでも受診してしまい、「必要な人」の枠を超えて患者が押し寄せるので、トリアージ機能が破綻してしまう。コロナを検査したい人がやまないし、検査をすれば予防ができると誤解されているし、予防が絶対だと未だに言われている。

インフルエンザに関しては、検査なしに「インフルエンザ」と診断することは、確かに「アリ」ではある。アリではあるが、これを汎用させると、診療の目的が「タミフルの処方」になってしまう(もうなっている?)。

コロナの話をするまでもなく「適正受診」(必要なときに最適な医療機関に受診する)は以前からの課題であった。だから現体制下で少しでも患者を減らそうとして「軽い人は受診しないように」促したい。だから「自主検査を推奨したい」という、その発想は理解できる。ただ、「コロナ自主検査」から始まるインフルコロナ対応は、ボトルネックが沢山ありすぎて、ムリがある。
・検査キットが足りない
・検査キットの配布方法がない(アベノマスクみたいに配る?)
・何度検査をしても足りない
・医療機関への受診前に配るのは手間が大変。
・陽性になっても受診したい人は減らない
・陽性になってもコロナだけとは限らない
・陰性になってもインフルとは言えない
・タミフル処方する手段がない(アベノマスクみたいに配る?)
・タミフル処方してもフォローする人がいない
などなど。

本来、医療は、社会の要求(demand)に応えるものではなく、必要(needs)に応えるものだ。
だから医療には適応という言葉があり、基準を作って汎用性を高め、貧富の差で治療の差が生まれないようにしている。

しかし、要求(demand)に応えようとする対策は、底がない、満たされることがない。検査キットがいくらあっても足りないし、医療機関がいくらあっても足りないし、タミフルがいくらあっても足りない。「日曜の深夜に受診できるところがない」と言われても、そりゃそうだ、という話だ。そんなコンビニのように希望者全員が「日曜の深夜に受診」できるようにする必要性はまったくない。

守りたいものは、コロナ診療でも、タミフル処方でもなく、医療"提供"体制の全体だ。トリアージ機能そのものだ。ところがコロナ診療を優先するばかりに、救急も、オペも、入院も、転院も、外来も、リハも、療養も、すべてストップしてしまう。

私は、この現状を放置しているのは、「感染症専門家の怠慢だ」と思っている。「検査すれば感染予防になる」の一点張りで検査適応をしぼらず、コロナ死しかアウトカムの指標にせず、その結果、医療崩壊を毎度毎度起こしてしまう。これを「怠慢」と言わず、何と言ったらいいのか。

本来は
・検査で感染が予防できるのか
・本当に検査すべき人は誰なのか
・コロナ対策によって生じるデメリットを考量できているのか
・打ち出した対策が、逆効果になっていないか
そういうタフな議論をして最適解を見つける努力をしなければならなかった、本当の専門家であれば。

だから、あらためて
・コロナ発熱外来は止めて、フリーアクセスにする
・コロナの検査適応を変更する
・タミフルの外来処方は保険適応外にする
こうしてほしい、と、本気で思っている
こうでもしないと復旧しない、と思っている。

改正旅館業法について

コロナ患者を含めた、一類、二類感染症の患者を、旅館ホテルが拒否できるようにする「改正旅館業法」のことは知りませんでしたが、この法律における結核の位置づけに関して、厚労省の記述で気になる点があったので、指摘しておきます。

>一方、感染症法上は入院措置等の対象であること、旅館ホテルでまん延すれば他の宿泊者や従業員も罹患・重篤化する感染症であることから、必要な限度で政令で定める期間に限り協力要請を行うことができる必要があると考えている。
>こうしたことから、結核については改正後旅館業法第4条の2第2項柱書きのカッコ書き内の政令で規定することを想定している。

【指摘1】
結核は「入院措置」する疾患ではありません。勧告どまりであって、もう「措置」はしません。逮捕権もありません。
結核予防法の時代は「命令入所」といって、強制的に入院させていました。その反省に基づいて、感染症予防法になってからは「強制的な措置」はなくなりました。
また、「結核は外来通院で加療する」のが、世界的な流れです。

【指摘2】
「旅館ホテルでまん延すれば他の宿泊者や従業員も罹患・重篤化」って、一体どんな状況のことでしょうか。
まず、結核患者だ、と分かっていることが前提なのだから、予防の方法があります。結核患者であると分かっていれば、旅館ホテルで「まん延する」状況が、まず想定されません。まん延するのは「結核患者であることが分からないから」です。
次に、「他の宿泊者や従業員も罹患・重篤化」することは、ご存知の通り「まれ」です。宿泊者や従業員の全員が免疫不全状態であれば別ですが、結核の特徴を忘れた感染症を過度に恐れるこの発想は、コロナから来ている気がします(旅館業界からの圧力?)。

【指摘3】
感染性を前提に「旅館ホテルが宿泊拒否できる」という話にしてしまうと、1類、2類に限らず、他の感染症にも影響が出ます。
たとえば、麻疹、百日咳、B肝、RSV、MRSA、こーいう疾患のほうが、結核よりも巷にはあふれているし、感染力は高いです。
さらに想像をたくましくすれば、「旅館が拒否できるなら、タクシーも、公共施設も、医療機関(精神や療養型)も、拒否できるようにしよう」という動きになっていくことを心配します。
コロナよろしく「感染症は特定の病院で診る」という動きになるかも。でも、医療資源はそんなに潤沢ではなく、いちいち病院に入院隔離させられませんし、そんなに保健所が患者を運んでいられません。

【指摘4】
宿泊者を拒否したら、拒否された人は、どこに行くのでしょうか。改正旅館業法には、保健所の役割が定められていません。
でも、こうやって拒否するだけ拒否しておいて「患者対応は保健所の役割だ」って押し付けられる気がします。
保健所が対応する必要性が"本当にあるのなら"やりますよ。でも、
宿泊拒否された患者を、保健所がとっ捕まえて、医療機関に運びますか?医療機関はホテルじゃないのに。

コロナになって「保健所が大変だ、保健所が足りない」と言われたのに、保健所が増える兆しがみられません。
なし崩し的にまた保健所業務を増やすのならば、保健所に対して人的措置もしてほしいと思いますが、それよりなにより、「感染症」を過度に忌避する傾向をこそ憂慮します。

改正旅館業法による、その後の影響を、心配しています。