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2022年12月26日月曜日

公衆衛生の教科書に載せたい「日本の失敗例」

入院ができない。

「コロナとインフルの同時流行に備えよ」なんて、どうでもいい。
「熱が出たら、まず自己検査キットを使おうキャンペーン」なんて、どうでもいい。
「一人一人の感染対策」も「年末年始で接触機会が増加すると患者が増える」のも、どうでもいい。
軽症患者が列を成そうが、感冒薬がほしい人に処方ができなかろうが、住民や医者がクレームを言ってくるだけだから、マジどうでもいい。

そんなことよりも、
そんなことよりも、
最優先で解決が必要なのは、
「入院ベッドがない」ことだ。
全県下で入院調整が不能になっていることだ。

"病床使用率"なんて、いくらデータを集めて分析しても無意味ですからね。
ずーーっと前に言いましたが、分母を大きくすれば見かけ上の病床使用率なんて下がるので、まったく実態を反映せずに「さもベッドが空いているように見せる」ことはできます。
でも実際には入院できません。

この状態では、どれだけ緑から赤をトリアージしても、なんの意味もない。
「医療逼迫宣言」なんて、なんの意味もない。
アピールでは、なにも問題を解決しない。

厚労省はもはや「年末年始は診療体制が通常とは異なります」というリーフレットを作ることしかできていないが、こんな"リーフレットを作る"ことは、国家公務員の仕事じゃない。体制不備を治すという仕事こそ、厚労省がやるべきことだろう。

入院調整が不能になっているのに、何も変更しないということは、「入院できない人は、入院させる必要がない」という理解でよろしいか。アドバイザリーボードは「入院できなければ、あきらめればいい、と考えている」という理解でよろしいか。現行の感染症対策は、そう考えている、との理解でよろしいか。
(ちなみに「決めるのは政府だ」と言うエクスキューズは、たとえ正しくても、プロがそれを言っちゃあオシマイよ、と思います。)

感染症対策の、政策的な失敗のせいで、医療提供体制の機能不全が起きているのに、放置しているということは、アドバイザリーボードが「それでいいと考えている」としか、言いようがない。そうでなければ理屈が通らない。
入院できないけれど、入院しても・しなくても、結果は同じだから、問題ない。だから「年末年始に入院ベッドがない」のは、政策的な失敗ではない。だから体制変更をしない。アドバイザリーボードはそう考えている、と思わなければ、理屈が通らない。

ある意味、これは正しい。
たしかに入院しているのは、ほとんど基礎疾患のある高齢者で、純粋にコロナが悪化して入院が必要になってるワケじゃないからね。

でも、そんな社会的入院の陰に隠れて、「本当に医療が必要な人」に、医療が提供できなくなっている。まれに発生する「治療すれば改善する比較的若いコロナ患者」や「老若男女を問わず、他の疾患で入院が必要な患者」が、あおりを喰っている。
この3年間ずっと同じだ。

コロナを特別扱いしすぎる感染症対策のせいで、大したことない患者の医療も特別な扱いになってしまい、そのせいで「本当に医療が必要な人」に、医療が提供できなくなっている。
これを"感染症対策の政策的な失敗"と呼ぶ以外、なんと呼べばいいのか分かりません。ぜひ公衆衛生の教科書に「日本の失敗例」として載せてほしい。「日本の医療崩壊は、コロナ患者の増加によってもたらされたものではなく、純粋な政策の失敗によるものだった。」と書きたい。

いままでも「入院できない」状況が何度もあったが、それは年末年始ではなかった。でも今回は、一年間で医療提供体制が最も脆弱な年末年始だ。
そして、この状況においても、感染症の政策を変更することはなく、過ぎ去ることを待つことしかしない。年末年始に入院調整が難航すると分かっているのに、アドバイザリーボード等々は何もしない。トリアージも価値判断も政策の優先順位付けもせず「すべてのコロナ患者を救う」なんて八方美人の発想では、医療提供体制はもたないのだが。

だから、せめて、祈るだけ。
社会的入院ができなくても知らんけど、「本当に医療が必要な人」が、きちんと入院できますように、と祈るだけです。
いまできることは。

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