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2022年11月8日火曜日

感染症専門家の怠慢

コロナというcommon diseaseを「発熱外来に集めて診よう」とする発想にこそムリがある。


やろうとしている対応は
・コロナ自主検査→陽性→自宅療養
・コロナ自主検査→陰性→オンラインや電話で診療→検査なしにタミフル処方

これで「発熱外来に人が集中しないようにする」という。

背景にあるのは
・そもそも「発熱外来」が足りない
・発熱患者を診てくれる開業医が足りない
・患者が検査を求める

なぜ医療機関が足りないのか
・そもそもコロナを「発熱外来で診る」疾患にしているから。

なぜ多くの患者が受診するのか
・コロナを検査するから。

本来は、かかりつけ医にせよ、発熱外来にせよ、医学的に治療が必要な人だけが受診・検査すればいい。「風邪に抗生物質は効きません、家で寝ていてください」と言えばいい。
しかし現状は、それでも受診してしまい、「必要な人」の枠を超えて患者が押し寄せるので、トリアージ機能が破綻してしまう。コロナを検査したい人がやまないし、検査をすれば予防ができると誤解されているし、予防が絶対だと未だに言われている。

インフルエンザに関しては、検査なしに「インフルエンザ」と診断することは、確かに「アリ」ではある。アリではあるが、これを汎用させると、診療の目的が「タミフルの処方」になってしまう(もうなっている?)。

コロナの話をするまでもなく「適正受診」(必要なときに最適な医療機関に受診する)は以前からの課題であった。だから現体制下で少しでも患者を減らそうとして「軽い人は受診しないように」促したい。だから「自主検査を推奨したい」という、その発想は理解できる。ただ、「コロナ自主検査」から始まるインフルコロナ対応は、ボトルネックが沢山ありすぎて、ムリがある。
・検査キットが足りない
・検査キットの配布方法がない(アベノマスクみたいに配る?)
・何度検査をしても足りない
・医療機関への受診前に配るのは手間が大変。
・陽性になっても受診したい人は減らない
・陽性になってもコロナだけとは限らない
・陰性になってもインフルとは言えない
・タミフル処方する手段がない(アベノマスクみたいに配る?)
・タミフル処方してもフォローする人がいない
などなど。

本来、医療は、社会の要求(demand)に応えるものではなく、必要(needs)に応えるものだ。
だから医療には適応という言葉があり、基準を作って汎用性を高め、貧富の差で治療の差が生まれないようにしている。

しかし、要求(demand)に応えようとする対策は、底がない、満たされることがない。検査キットがいくらあっても足りないし、医療機関がいくらあっても足りないし、タミフルがいくらあっても足りない。「日曜の深夜に受診できるところがない」と言われても、そりゃそうだ、という話だ。そんなコンビニのように希望者全員が「日曜の深夜に受診」できるようにする必要性はまったくない。

守りたいものは、コロナ診療でも、タミフル処方でもなく、医療"提供"体制の全体だ。トリアージ機能そのものだ。ところがコロナ診療を優先するばかりに、救急も、オペも、入院も、転院も、外来も、リハも、療養も、すべてストップしてしまう。

私は、この現状を放置しているのは、「感染症専門家の怠慢だ」と思っている。「検査すれば感染予防になる」の一点張りで検査適応をしぼらず、コロナ死しかアウトカムの指標にせず、その結果、医療崩壊を毎度毎度起こしてしまう。これを「怠慢」と言わず、何と言ったらいいのか。

本来は
・検査で感染が予防できるのか
・本当に検査すべき人は誰なのか
・コロナ対策によって生じるデメリットを考量できているのか
・打ち出した対策が、逆効果になっていないか
そういうタフな議論をして最適解を見つける努力をしなければならなかった、本当の専門家であれば。

だから、あらためて
・コロナ発熱外来は止めて、フリーアクセスにする
・コロナの検査適応を変更する
・タミフルの外来処方は保険適応外にする
こうしてほしい、と、本気で思っている
こうでもしないと復旧しない、と思っている。

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