「感染症対応の訓練を充実させる」とか「都道府県に調整役を1人置く」とか、そんな話が先行してしまっては、必ずコロナと同じことが繰り返される。
特に「訓練先行」だと、結局、訓練では「どうやって感染症を抑えるか」という方向にしか考えられない。
訓練をする前に、そもそも、感染症に対する「意思決定」や「対処の方向性」を、改めておく必要があるが、このステップが飛ばされてしまう。
この感染症にどう対峙するか、という合意形成が、最初から飛ばされてしまう(コロナと同じ。あれ?戦争も同じ?)。
たとえば「コロナワクチンの集団接種会場の訓練」が良い例で、そんな訓練をやる前に「そもそも集団接種なんてやめようぜ」という話は、最初からあった(費用対効果が最悪だから)。でも、全国どこでも集団接種をやることにされてしまい、「訓練」をせざるを得なかった。
集団接種の訓練がどんなに上手くいっても、そもそも「集団接種を計画させない合意形成」が機能していれば、本来この労力をかけることはなかった。コロナワクチンの不要な「集団接種」のために、どれほどの人材と時間とカネを注いだことか。
訓練は、やればいいってモノじゃない。
コロナ対応の先入観で同じことを訓練しても、同じ結果になるだけだ。
「都道府県に調整役を1人置く」ことが、解決にならない理由も同じ。
結局、合意形成が飛ばされて「感染症を抑える」ことから抜け出せなければ、調整役が1人いても何もならない。
「フェーズごとに対策を変えていく」ハズだったのに、大本営がコロナを特別扱いし続けては、都道府県の調整役に出来ることはない。
地域全体で患者を診ていくには、患者を1つの病院に集める方法ではコロナの二の舞になるので、最初から「地域全体で患者を診ていきましょう」という話にしておかなければならない。
そうであれば、当然、医療関係者全員がタイベックを着るなんてムリだと分かるし、入院調整をすべて保健所がやり続けるなんて誰のためにもならないことが分かる。
「感染は徹底的に抑え込む」という訓練になるのなら、やらない方がマシ。
これからの感染症の訓練は、連絡や受診調整、搬送といった従来型の訓練ではないものが、計画されるハズだ。
訓練の前に、まず「何をどこまでやるのか、合意形成をして」おくことに、なるハズだ。
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