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2025年6月6日金曜日

研究者の適正

とある研究の倫理審査委員会に委員として出席した。

侵襲性を伴う研究だったが
研究の中止基準が計画書には示されていなかったので
「中止となる基準を想定し、明記しておいたほうが良い」
と言ったら
「そんなことが起こるかもしれないと言うのなら、その副作用が起こる機序を説明してくださいよ」
と言われた。

いや、研究者が、それを言っちゃっあ、おしまいでしょう。
しかも、それを「外部」の人間である私に平気で言う?

"研究で起こる副作用の機序"を証明するのは、倫理審査委員ではなく、研究者ご本人です。

研究のトラブルシューティングを想定するのは、研究者の仕事です。
研究でやる以上、副作用や予期せぬ事象が起きたら、それはすべて研究者が引き受けなければならない。そうでなければ「研究」として成り立たない。なぜならば、研究による有害事象なのか、研究は関係ないのか、分からなくなってしまうから。
そして、研究者が引き受けなければ、起きた副作用を、見逃してしまうから。
起きた副作用を、起きていなかったことにしてしまうから。

一見、侵襲的な介入とは関係のない事象が起きたかに見えても、本当に「関係がない」と言えるかどうかは、きちんと調査しなければ分からない。
人間を扱う以上、研究の手段とは関係がない事象が起きる可能性はあります。たとえば、研究に協力した帰りに交通事故に合ったとか、後日成績が下がったとか、それって「研究の介入とは関係がないように見える」ことでも、本当に関係がないか否かは、きちんと追うべきです。
「風が吹くと桶屋が儲かる」という言葉の意味を、研究者だったら理解できると思うのですが。

この教授は、自分の生徒に対しても、同じように教えるのだろうか。
「起こりえないことが起きたとき、それが研究の介入によるものか否かは、研究者が明らかにする必要はない」と教えるのだろうか。
・・・って、研究のこんな基本的なことまで言わないとダメだという事実が、本当に驚きで悲しい。

「この介入では、副作用は起きるはずがない」と頭から思っているのだから、この教授は、まず間違いなく研究で起こるすべての副作用を「見逃す」と思う。

これは、研究そのものの倫理性「以前」の問題だと思う。

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