<必要な人材を論じるよりも前に>
いきなりで申し訳ないのですが、「健康危機管理における公衆衛生に必要な人材」を論じるよりも前に「そもそも健康危機管理において公衆衛生は、どこに向かって、何をするのか」が最も大事です。
「健康危機管理」には、テロや戦争も入るのですが、それが危機管理に必要だからといって、ハイそうですか、と「戦時における公衆衛生に必要な人材」を論じるワケにはいきません。なぜならば、その前に「戦争に全力で反対する」のが公衆衛生だからです。「戦争に至る芽をあらかじめ摘む」のが公衆衛生だからです。公衆衛生の「危機管理」は「戦争という危機が訪れることを防ぐ」ことを何より使命とするからです。
だから「そもそも健康危機管理において公衆衛生は、どこに向かって、何をするのかが最も大事」になるのです。「戦争」を例に挙げましたが、これは戦争には限りません。
<よく言われる「必要な人材」像>
さて、よく言われる「公衆衛生に必要な人材」では、例として、メディア対応ができる・政治家と渡り合える・多職種をまとめて事業を進めていける・オールハザードに対応できる、このようなことを指して「人材」と言いますが、これって、人材じゃなくて、スキルです。
一方で、コロナ対応を見るかぎり、最も評価された対応は、必要性よりも安心感を与え続けることでしたし、最も評価された「人材」は、イエスマンでした。つまり「長い物に巻かれる人」でした。
でもね、公衆衛生がやるべき仕事や、必要な人材って、そーいうものではないでしょう?
いや、ひょっとして、日本にはまだイエスマンが必要、ということかしら?
・・・。
<感染症のことだけを考えているワケじゃない感染症対応>
保健所におけるコロナ対応の仕事は「感染症のコントロール」だけではありませんでした。よくメディア等で「流行の山を抑えてなだらかにするための対策」という話があったと思いますが、保健所は「感染者の総量を減らす」ことをNo.1の目標にしていたワケではありません。「最終的に感染症がまん延したときにも、医療提供体制が維持されている」ことが目標でした(割と早い段階から)。だから、住民にも医療機関にも、過度に怖れてほしくなかったですし、本当に必要な人だけが受診してほしかったし、検査適応も絞るべきだと考えていました。ところがコロナでは、そういう保健所の思いとはすべて逆に進んでしまいました。その結果、感染症とは関係のない一般医療まで割と早くから逼迫する事態になりました。自殺者も増えたし、お店は倒産したし、感染者バッシングを防ぐこともできませんでした。
その結果、「クラスターの発表」とか「議員からの質問・要望」とか、それこそ「感染症のコントロール」とは何の関係もない仕事が大量に発生し、自治体職員は疲弊していきました。
<訓練先行にすると目標の立て方は話し合われない>
「研修・トレーニング」には、その研修が目指す「目標」があると思います。でもNCGM、NIID、医療機関、自治体、国民、それぞれ、「どういった目標が妥当なのか」については、話し合ったことがないと思います。コロナでは「もうこれくらいでヨシにしよう」とか「高齢者の死亡はある程度は仕方がないよね」という話にはなりませんでした。同じく「コロナ抑制のために、若者の精神的な死はどこまで許容されるか」ということも話し合われませんでした。
いま訓練を実施すると、感染は徹底的に抑え込むという目標が最初から設定された訓練になってしまうでしょう。
私は、訓練をする前に、そもそも、感染症への対処の「意思決定」や「対処の方向性」を、改めておく必要があると思っていますが、訓練ではこのステップが飛ばされてしまいます。何を「成果」として考えるか、組織同士でまったく考え方が異なるのに、です。
それの何が悪いのか。コロナワクチンを例に言うと、市町村ではワクチンは「打つキャンペーン」ばかりしてきました。その結果、自治体職員は「数を稼ぐ+パフォーマンス」の必要性に迫られ、効率の悪い集団接種会場を作って運営することになりました。打ちたい人があまりに同時に来たために、予約窓口がパンクして、新たな苦情を生み出し、対応に迫られました。1本ムダにしたら廃棄の記者会見となり、集団接種のためのワクチンの奪い合いにもなってしまいました。つまり「打つキャンペーン」は、キャンペーンで終わり、にはなりませんでした。そして、いまやワクチン被害者救済申し立ての手続きをしています。
「感染症を徹底的に抑え込む」という目標設定で訓練をしても、現実には、必ず派生した対応が次から次へと出現していきます。我々は、Outputばかり求められる訓練ではなくOutcomeを出す事前の準備を最も欲しています。
<欲しいと考えているのは、人材なのか、スキルなのか>
訓練を提供する側が欲しているのは、人材なのか、スキルなのか、これは混同せずに明らかにしておいた方がいいと思っています。
たとえば、科学的根拠を参照できる、とか、メディア対応ができる、とか、リスクコミュニケーションができる、ということを訓練項目に挙げると思いますが、これらはスキルですね。訓練すれば身に付く能力です。
一方で、社会の反応に警笛を鳴らすことができる、とか、ワクチンの一方的な押し売りはしない、とか、首長にも議員にも臆せず意見を言う、とか、コロナの患者数に一喜一憂するのではなく医療提供体制の全体像から律速点を探し出して手が打てる、とか、このようなものが「人材」だと思っています。訓練してもそう簡単には身に付かない能力ですが、「スキル」を訓練するよりも、「人材」を育成する必要があります。
私は「スキル」よりも「人材」を欲しています。特に上層部に対して「人材不足だ」と思っていますが、詳しくは下のほうで述べます。
<自治体ではすでに人は減らされている>
コロナ対応のために多くの自治体が担当者を増員しました。
コロナが5類になったからといって問題が解決したワケではありませんが、まず多くの自治体で、コロナ対応部署は解体したか、遅くとも令和6年度には「コロナ前の水準」にまで担当人数を減らすことになると思います。
どの自治体も、仕事は増加の一途なのに、職員は不足しています。感染症にばかり人を割くことはできないので、また新たな事態が発生するまでは、感染症担当は「コロナ前の水準」にまで人員を戻すところが多いのではないでしょうか。つまり「新たなことに取り組む余裕がない」可能性が出てきます。
ほか、自治体内の特徴としては以下の通りです。
・3年間ずっとコロナ担当だった人は稀です
・ジョブローテーションの関係上、今後はコロナ対応を経験した職員が感染症担当からいなくなります
・新たな感染症発生時にコロナと同じように対応しようとすると、自治体もまた1からコロナと同じ対応をすることになります(マニュアルなんてないし、あってもその都度対応だし、人はみんな替わってしまうし)。
・「コロナの反省」を作りたいのですが、あまりに長期かつ大量すぎて、次の糧になるものはほとんど作られないと思います。
・人が減らされたあとは「役割分担をしっかりしてね」という話にさせられます。でも問題は役割分担の出来不出来にあるのではなく「オペレーションの中身」です。
単に人を減らされるのでは「コロナ前に戻るだけ」になってしまうので、せめて数人の職員を確保するために「健康危機管理室」のような部署を立ち上げる自治体もあるでしょう。看板を掲げると人が確保しやすいからです。
<医療機関は保健所への依存度を強めている>
コロナで受診調整、入院調整、物資調達、住民苦情の対応etcを、保健所は担ってきました。正直「なんでそんなことまで保健所に聞くんだ」という問い合わせも医療機関から多く入ってきました。コロナの3年間で、医療機関の自立性が損なわれたと思っています(なんでも保健所に聞いてくる、自力で何とかしようとしないetc)。
「災害時にも保健所が受診調整するんだよね?」と言われて絶句したことがあります。災害時に保健所が患者1人ずつ調整していては、トリアージなんて不可能なのですが。
<都道府県で必要な人材・訓練>
都道府県の人材には、県内の対応を一元化する、とか、取りまとめ役になる、ということを期待します。でも正直、そんな人が1人や2人だけ都道府県にいても、国の方針でせっかくの努力が吹き飛んでしまったり、各関係団体が非協力的だったりして、何にもできませんでした。
「知事に対して臆せず意見を言える部長」とか「医師会に対して叱咤できる感染症医師」とか、そーいう人が本当は欲しい、そういう人材を求めているけれど、今の日本では、知事や医師会側に受け入れる度量がないので、ムリですよね。「本当に必要な人材」は「首が飛ぶのを怖れて存在しない」のかもしれません。
繰り返しますが、最も不足しているのは「知事・部長」といった組織ごとの「統括レベルでのまともな人材」だと思っています。決して「実務職員たちの能力」が足りないのではないと思います。
<市町村自治体で必要な人材・訓練>
およそ「都道府県」と同じです。
市町村自治体は、ただでさえ人材不足です。「コロナ前の水準にまで人を減らされる」のは書いた通りです。さらに自治体職員は基本的に真面目なので、すべてに対応しようとしてしまいます。でも、高齢者がますます増え、働き手がますます減るこれからは、住民の要望に全部答えていくことは不可能で、職員の離職を防ぐためにも、仕事の優先順位と取捨選択をする必要があると思っています(特に災害対応)。
1.要望に全部答えようとすると職員がパンクするので、仕事を棄てること。
2.「要望に応える」のではなく「成果・結果」を志向すること。
3.そもそも「公衆衛生」は、何を大事に考えるのか、日ごろから意識すること。
こんな訓練ができたらいいなーと思っていますが、ほとんど「メンタルトレーニング」なのかもしれません。
<医療機関を相手にした訓練を、やってもらえると助かります>
地域全体で患者を診ていくには、患者を1つの病院に集める方法ではコロナの二の舞になるので、最初から「地域全体で患者を診ていきましょう」という話にしておかなければなりません。そうであれば、当然、地域の医療関係者全員がタイベックを着るなんてムリだと分かるし、入院調整をすべて保健所がやり続けるなんて誰のためにもならないことが分かると思います。
でも、新たな感染症が発生した場合には、コロナの経験を踏まえると、本当に多くの医療機関が「まずは受診を断る・あとは保健所に指示を出してもらうまでは動かない」という対応になってしまうでしょう。「地域全体で患者を診る」には「やりすぎない感染症対策」が必要だと思っています。コロナで医療機関の感染症に対するハードルが上がってしまいましたが、一度上がったハードルを下げる訓練を、医療機関向けにやってくれると、自治体としては大変助かります。このような訓練は、自治体が医療機関にやるワケにはいかず、医療機関同士でやってほしいと思っています。
<都道府県でのご意見番医師やDMATのブレインに向けた訓練も、やってもらえると助かります>
「医療機関向けの訓練」と同じ理由から、都道府県でご意見番になる医師やDMATに向けた訓練も、やってもらえると良いなと思います。さらに、これらの人たちには「自分たちの発言や行動の重さ・影響力」や「会議での影響力の発揮の仕方」等を知ってほしいと思っています。
ご意見番医師やDMATのブレインには、ぜひ以下のことを知っておいてほしいです。
・知事は、知事責任で決定することを嫌う。知事は、医師会の顔色も伺う。
・ご意見番医師が務める医療機関のやり方を模倣して地域の中核病院が動き、地域の中核病院のやり方を模倣して市町村の医療機関が動き、地町村の医療機関のやり方を模倣して県下の介護施設は指示に従う。
・大きな方針は国が決めますが、都道府県下で医療提供体制をスムーズに回すには、都道府県での舵取りが重要です。そのときにご意見番医師が「こうしよう」と号令を掛けられるか、ただ現状を追認するだけか、この違いが、かなり結果に影響を与える。
・医療提供体制をスムーズに回す青写真を描いて、号令をかけることができるのは、ご意見番医師やDMATのブレインです。
<まとめ>
訓練を企画する前に、そもそも「目的は何か」をはっきりさせておく必要があります。
コロナで言うと「死亡率を下げること」が「最も大事な目的」のように言われますが、それは必ずしも正しくありません。「コロナに固有の死亡率」なんて存在しないし、感染症の死亡率はその地域の社会構造によって変わってしまいます。年代別に言えば「高齢者ほど死亡率が高い」のは「当たり前」だし、社会構造上、防ぎようのないこともあります。そのことを忘れて「死亡率を下げること」を目的にすると「三次救急にコロナ患者が集中する」ことになってしまいます。これが何度も繰り返してきた「医療崩壊」です。
感染症対策≠公衆衛生対策
都合の良い人材≠必要な人材
感染症の専門家≠公衆衛生における感染対策の専門家
これらのことを念頭に置いて、「結果」を志向していく必要があると考えます。
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