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2022年1月19日水曜日

本当に「助けられる重症者を助けたい」と思っているのなら

本当に「助けられる重症者を助けたい」と思っているのなら
疫学調査をして濃厚接触者を探す、なんてことは、もう止めなければいけません。
軽症なんて全部捨てて、感染予防も全部あきらめなければなりません。

疫学調査をする、ということは、濃厚接触者を探すということです。
濃厚接触者を探す、ということは、その人たちを検査するということです。
検査して陽性を見つける、ということは、その人たちを自宅待機させる、ということです。

たとえば、これを続けているとどうなるか。
「保育園でまん延→検査→陽性多数→休園→親は仕事を休む→親も検査で陽性→さらに濃厚接触者を拾う」
1つの保育園を止めると、それだけの数の"親"が働けなくなります。
それに関わる機能が同時多発的にすべてストップします。

"医療従事者は濃厚接触者でも働けるから大丈夫"ではありません。
医療従事者だって保育園を利用しています、子が休めば、自分も休みます。
こんなことを続けていれば「重症者を助ける」なんてことは、できるワケがない。

これも、デルタと同じことの繰り返しをしている。
軽症例をすべて無視しないから、こういうことになる。

もう感染することを諦めなければ、誰も救われません。
"感染者探し"をやめる時期です。
"疫学調査"をやめる時期です。

"濃厚接触者の自宅待機"も
"陽性者の隔離"も
すべてやめて
「普通の風邪扱い」にしなければ
社会機能はますますストップし
救える人も救えなくなります。

アドバイザリーボードや感染症専門家は
命を救うことができるか否かの「律速」が
"感染者数"だと思っている

が、ここが間違っています

命を救うことができるか否かの「律速」は
"社会機能の維持"です

救外を回せるかどうかの「律速」は"患者数"ではない
"トリアージ機能の維持"です

好きな患者だけ診ていても救外は回せないのと同じで
好きな感染症だけ見ていても感染症対策は回せません

ここまで言わないと分かんない?

…分かんないんだろうな。
ほんと、どこ見てやがる。

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