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2020年10月12日月曜日

呉先生の「この病を得たるの不幸に加えて、この国に生まれたるの不幸を重ねる」は「自虐的」ではない

【識者の眼】「この国に生まれたるの不幸─コロナ・バッシング症候群(CBS)」岡本悦司

上記の岡本先生の記述の中で、本旨ではない部分について気になったことが1つあるので、記載しておきます。

呉先生の「この病を得たるの不幸に加えて、この国に生まれたるの不幸を重ねる」は、決して「自虐的に過ぎる」とは思いません。「悲観的だ」とも思いませんし「ナイーブすぎる批判だ」とも思いません。本当に自虐的に言っていたのであれば、あの時代に猛反対されることが分かっている「隔離患者の開放」という行為には出られないからです。

現代ですら、患者拘束をしていることを「やめろよ」と現場で言うことは難しい。もし呉先生の時代に自分がタイムスリップしたとして、自虐的な言葉を吐いたあとで「拘束をやめろよ」と言うことができるだろうか、行動に移すことが本当にできるだろうか。
「うちの患者さんは拘束されてかわいそうだよね~」くらいの安っぽいノリで、どんな行動に移すことができるだろうか

呉先生は、生半可な覚悟で自虐的に言ったのではなく、本気だった、本心だった。だからこそ「拘束を外す」という「暴挙」もやってのけることができた。だからこそ「精神病者私宅監置ノ實況」という名著を遺すことができた。
私はそう思っています。

ゆえに、岡本先生の「自虐的に過ぎる」という評価は、不適切だ、と評価することを記しておきます。

岡本先生が言う「当時の日本の精神医療の貧困は疑いないが、だからといって精神病者が他国に生まれたら幸せだったかというと決してそうではない。」を言い表したいのならば「自虐的だ」と切って捨てるのではなく「日本も他国も同様にすさんでいた」とか「五十歩百歩だった」と言い表すのが良いと思います。

また「大阪大学の三浦麻子教授(社会心理学)の国際比較研究」が優れている点については、その通りだと思っています。

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