もしコロナワクチンを押し通すために
「こういう非常時に求められる公衆衛生対策は、やらないでいるよりも、やったほうがいい」などと放言する者がいたら、そいつは偽者である。
どんなロジックかというと
「効果も副反応も分からないからってワクチンを使わないままにして予防できないでいるよりは、多少の副反応には目をつむって、ワクチンを使ったほうがいい」というロジック。
一見、良さそうにみえる?
何が問題だって思う?
同じロジックを死刑制度に使うと、こうなる。
「本物の犯罪者を死刑にしないでいるよりは、多少冤罪が混ざっても、本物の犯罪者を残さず死刑にする方がいい」
…いや、これダメでしょ。恐怖政治を容認するってことか。
これがダメな理由は、公衆衛生を司る者であれば合意される、と仮定する。
で、「死刑とワクチンは次元が全然ちがう」とか言うのなら、それは公衆衛生ではない。
効果も副反応も分からないワクチンを押し通して、副反応で大量に害を与えかねない所業は、その行為自体が「公害」であるからだ。
さらに「副反応が大量に発生する可能性」があらかじめ指摘される状況で、それでも導入するという不作為は「故意」であるからだ。
ワクチンという名の隠れ蓑のもとの「故意に公害を起こすかも」という賭け事。
ワクチン導入を検討するのは医者だろ?
だったら職業倫理にすら反する。
Do No Harmのヒポクラテスの誓いに反する。
もう少し説明を加えます。
公衆衛生上、
「やらないよりも、やったほうがいいこと」というのは、
「効果」が分からないものに対して使う言葉ではなく
「害」が分からないものに対して、介入して中止させる、という形式をとります。
たとえば
「食中毒が起きました、原因物質は分からないけれど、お店が特定されたので、ひとまずお店を営業停止にします」
「薬の重大な副反応で人が死にました。原因は調査中ですが、究明できるまで、この薬は使わないでください」
残念なことに本物の公害は、原因が推定されても、排出が中止されるまでにある程度の時間がかかって害が広がっている(水俣病や四日市喘息etcを見てほしい)。
薬害のスモンやサリドマイドでも同じです。
医療現場においては
「頭痛の患者が来ました。くも膜下出血(害)かもしれないので、頭部CT(介入)を撮ります」
医療現場でこのストーリーが許されるのは、「介入」の行為での侵襲性が低い、あるいは侵襲性よりも得られる利益のほうが勝っている、そしてその侵襲性は既知のものであるから、である。
オーバートリアージというものは
「どれくらい侵襲的なのか不明だし、利益が上回るかどうか分からないし、そもそも必要性があるかも分からないし、侵襲からの回復見込みも不明」なことに対して、多少オーバーでも構わないからやっていい、なんてことでは決してない。
「やらないよりも、やったほうがいい」という言葉は
決して「効果があるかどうか分からないけど、良いかもしれないから、やったほうがいい」という使い方をしてはならない。
オーバートリアージは許容されても「不作為で患者に害を与えること」は許容されない、それがたとえワクチンであろうとも。
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