このブログを検索

2020年2月25日火曜日

記者会見や報道発表に求めすぎる罪:神輿は軽いほうが良い

 記者会見をセッティングするということは、それに帯同する人材を現場から取られる、ということなのです。情報を出せ、という恫喝に対して、毎度毎度、人を取られるたびに、現場は疲弊するのです。
 私は現内閣の支持者ではないけれど、記者会見を見る限り、加藤厚労大臣は良い具合に落ち着いて対応してくれていると思っています。誰にとって良い具合なのか、というと「厚労省の担当者にとって」です。変なことを口走ったり、記者とケンカになったりしない、それだけで担当としては大変ありがたいのです。例えばこれを、大阪府のように自分の発言が与える迷惑も考慮せずにしゃべくられると、たまったものではないのです(余計な調整の仕事が増える)。だから、担当者からすると、落ち着いてしゃべってくれるだけで、大変助かります。あとは、記者会見で意味のない対策をすることを約束したり、後に引けなくなるような目標を言わされなければOKなのです。
 そのためには、なるべく変な刺激を外部から与えないこと、が大事です。
 つまり、根拠もなく大臣の"対応"を批判したり、根拠もなくあーしろこーしろと言うと、その結果引き出されるものは、"根拠のない対応"です。これは、現場をさらに疲弊させ、本当に必要な対策に集中できなくなるだけです。
 担当者は、記者会見それ自体を「本当に必要な対策」だとは思っていません(情報コントロールの意味では必要ですが、会見で感染が減るわけではありません)。本当に必要な対策は、あくまで現場対応です。記者会見は、やったお陰でその現場対応に役に立つことがもしあればいいかな、程度のものです。記者会見の効果は「±0」なら御の字です。ソーリや大臣の対応も記者会見と同じです。ソーリや大臣に専門的な対応をしてほしいなんて、これっぽっちも思っていません。顔であってくれれば、それで良い。記者とケンカして、できもしない約束なんてしないでほしい。いてくれるだけで充分。
 「神輿は軽いほうが良い」とは、このことです。
 本来は、記者会見の回数が少ないほうが、担当者としては、現場に集中できます。ですから今のメディアの露出は多すぎます。本当に必要な対策を、本当に必要とされているのであれば、邪魔しないでいただきたい。言いにくいことをあえて言いますが、記者会見や報道発表を何度も何度もやって情報を包み隠さず出せ、というのは、現場対応の邪魔になります。担当者は、もちろん効果的に記者会見を使いたいし、宣伝したいこともあります。ただ、それ以上に刺激を求めても、聴衆を満足させることができるだけ、です。そんな結果は、私たちが求めているものではないはずです。
 だから、幹事会だの、政府会議だの、カメラが入る仰々しい名前のついた会議は、中身なんてなくていいんです。5分で終わってもらって写真だけ撮れればOK。ソーリは会見なんてしなくていいです(セッティングの労を考えてくれ、そんなことしてる場合じゃない。それにたぶん厚労大臣のほうが会見はうまい)。
 加藤厚労大臣の会見は、のらりくらりに見えるのかもしれませんが、無駄な対策を口走っていないと考えれば、現時点で100点です。下手に他の人が出てくる出番を抑えていると考えるなら、120点です。このままこの調子で続けていただきたいと思います。可能であれば、今後は記者会見の頻度を落としてくださると、現場はなお助かります。
 で、それでも、もし今の対応を批判したいのならば、現場対応の邪魔にならないように、もっと根本的なところを、前々から指摘してほしかったです。厚労省の職員数が少ないとか、各省庁の縦割りが過ぎるとか、無駄な政策が多いとか、地方自治体の職員数も少ないとか、だから小さな政府になって責任は個人に負わされるのが日本だとかetc...。
 こーいう話、もっと前から分かってたやん、という話ならば、現場対応の邪魔にならないところで、冷静にぜひお願いします。
 あ、もっとあったか。桜とか、定年延長とか、モリカケとか、LGBTの生産性とか、技能実習生制度とか、云々かんぬん。

0 件のコメント: