2019年2月にWHOに研修に行かせてもらいました。そこで学んだことを月間「公衆衛生情報」の2019年8月号に寄稿しました。目に触れる機会の少ない媒体なので、私が書いた文章だけここにも再録します。
雑誌の文章は文字数の関係で編集が入ってしまいましたが、本当は参考文献もあります。したがって、投稿した文章は、これがオリジナルです。
---------以下、寄稿文---------
高齢化対策について
日本にとっては意外なことに、WHOは2015年にようやく、WHOとして初の「高齢化に関するワールドレポート」を取りまとめた(World report on ageing and health 2015)。実は多くの国にとって、高齢化対策はまだ黎明期であることから、概念整理が必要であったので、レポートにして発表したのである。
日本にとっては”ようやく”であったが、このレポートの内容は”今でも”たいへん示唆に富んでいる。「誰一人として”典型的”な高齢者はいない」「高齢者への出資は投資であって、コストではない」など、高齢化に関する理解を深め、差別偏見を改め、正しい認識に立って政策を考える一助になる内容である。
そして今後の具体的な介入については、WHOはロードマップとして「高齢者のための統合ケアアプローチ」を示している(ICOPE
2017)。現時点でのロードマップは以下の3点である。
1.高齢化による総合的な能力低下は病気ではないので、まず内在的能力が低下しつつある高齢者を見つけ出す。
2.見つけ出した高齢者を包括的に評価する。身体的+社会的サポートの評価を行う。
3.ケアプランを決める。多くの専門家をコーディネートする必要がある。日本のケアマネジャーがうまく取りまとめるイメージで、ここでは高齢者の希望を聞くことが大事である。
ここでの「1」の取り扱いは、地域や社会によって異なる。
まずWHOの「高齢者」の定義は、「older person:a person whose age has passed the median life expectancy at birth」であり、あえて年齢では定義しない(WHOがどうしても年齢を使うときは「60歳以上」を使用する)。「ある集団の平均寿命の中央値(寿命中位数)を超えた者」であるため、日本語の「高齢者」とはニュアンスが異なり、「高齢期」に近い。その真意は、それぞれの”社会ごと”のolder personになった時点で、幼少期からそれまでを振り返って、その後のライフコースをより良く過ごしていくきっかけにしてほしい、というWHOのメッセージが含まれている。
次に、WHOがいう「能力」とは、「個人が持つ内在的能力に、環境要因が付加されたものが、実際に発揮する機能的能力」という構成で理解される。たとえば、徐々に視力が落ちていく状態が内在的能力の低下であり、メガネの利用をサポートして視力を維持することが、機能的能力の発揮になる。ここで重要なことは、能力の低下に関して、疾患の有無にはあえて言及していない点である。WHOでは「Healthy ageing(健康な高齢化)」という概念を用いて対策を考えている。「機能的能力を維持・発達するプロセスを経て、高齢者であっても満足できる生活を可能にする」という概念である。疾患の有無によらず、生き生きと健康に生きられる機能を維持することは可能だと考えることから、能力は疾患で定義されず、社会的に定義される。
したがって、高齢者のための統合ケアアプローチのポイントは、内在的能力が低下していったときに、社会的サポートがないまま機能的能力までもが低下しないように、効果的な介入をして、要介護状態に至る人を減らすことである。WHOはこの方法で2025年までに要介護状態の高齢者を1500万人減少させるという目標を立てている。
【参考】
World report on ageing and health 2015
Integrated care for older people :
Guidelines on community-level interventions to manage declines in intrinsic
capacity. WHO 2017
ユニバーサルヘルスカバレッジ(UHC)について
日本が国民皆保険制度を達成したからといって、不断の努力なしに制度を維持することは難しい。まして健康は自己責任などと言い出せば、国民皆保険制度の質の維持などは覚束ない。
ユニバーサルヘルスカバレッジ(以下UHC)とは、単に治療をカバーすればいいとか、すべての住民をカバーすればいい、というものではない。医療費による貧困化を起こすことなく、必要かつ最適な医療を、すべての人々が享受できること、である。つまり「UHCの達成」とは、予防、治療、リハビリ、緩和ケアまで含めて、「質も量も皆適応」していることをいう。決して「必要最低限の医療提供」を意味しない。WHOは、「特定の保険制度や特定のUHCモデルがあればUHCが達成できる、と考えることは、誤りである」と明確に述べている。
各国は、それぞれの歴史を土台にして、自家製でシステムを構築する。ただ、日本の国民皆保険制度についてのWHO内の評価は、それほど高くないようである(むしろ保険収載される医療の幅が広いため財政負担が大きく、制度自体が失敗だったという評価もある、と)。
はたして日本にとってのUHCとは何であろうか。ここからは、日本のUHCとその意味について、WHOでの調査を踏まえて著者の意見を述べる。
現在、世界中の約50%の人に基本的な医療が届かず、1億人が医療費による貧困に陥り、医療費のカバー不足により8億人以上が家計の10%を医療費に使っている。だからこそUHCが必要だ、とWHOは宣伝している。
そこでもう一度確認しておきたい。UHCとは制度の「答え」ではない。医療費による貧困化を起こすことなく、必要かつ最適な医療を享受することができるという「考え方」である。日本の場合、たとえば保険外診療を増加させたり、財源を不安定化させて財源の多寡によりカバーする医療を変えたりして、国民皆保険制度を骨抜きにしてしまっては、制度は存在しても、それはもはやUHC(皆適応)ではないということである。逆にもしUHC(皆適応)が維持されるのなら、国民皆保険制度こそがUHCに資すると言える。
では、日本は何ができるだろうか。WHOが言うように、UHCに魔法のシステム(保険制度やサービスモデル)はない。だからこそ、各国は工夫して様々なシステムを用いてUHCを達成しようとしている。そこで、日本ができることは、国民皆保険制度やサービスモデルである緻密な診療報酬制度が、どのような「価値判断」でここまで形成されたかを示すことである。そして、今後はどのような価値判断で私たちは日本のUHCを維持していくのか、将来設計を語ることである。
それぞれの国でのUHCの達成・維持に正解はない。ゆえに、システム化には歴史と価値判断が必ず伴う。日本は世界で最も高齢化が進んでいる状況をふまえて、日本のUHCの価値判断を還元することは、世界のUHCの達成にも寄与すると考える。
私たちは、自己責任(市場経済)に任せた医療・福祉を望んでいない。政治や政策にシステムは左右されてもUHCは維持される、そんな社会を将来にわたって実現したい。それがWHOの願いであり、私たち日本の公衆衛生の願いである。
【参考】
http://www.who.int/medicines/technical_briefing/tbs/TBS_WHO_Access_medicines_UHC_2014.ppt
地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク p3 二木立 勁草書房
日本の医療と介護 p32 池上直己 日本経済新聞出版社
ちょっと気になる政策思想 p241 権丈善一 勁草書房
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