保健所の組織運営は、規模の大小にかかわらず、保健所のミッションとは何か、役割は何か、存在意義は何なのか、を定義し共有するところから始めることが最重要事項である。そして私が考える保健所のミッションは、公衆衛生の「リスクヘッジ」である。
まず、公衆衛生とは、「共同社会の組織的な努力を通じて、疾病を予防し、寿命を延長し、肉体的・精神的健康と能率の増進をはかる科学であり、技術である」とC.E.A. Winslowが定義している。「共同社会の組織的な努力を通じて行うもの」とは、公衆衛生は誰か特定の人間の専売特許ではない、という意味である。「科学である」とは、仮説に基づいて運用・検証され、誤りは訂正が認められ、また新たな仮説に基づいて運用され、繰り返し検証されることである。そして「技術である」とは、専門性があり、政治や経済が先導してはならないことを意味する。つまり、公衆衛生とは、専門性があるものだが、特定の誰かのものではなく、検証を行う権利は万人に保証されているもの、と言える。
公衆衛生は、保健所の専売ではない。ただ、保健所は、専門性と検証可能性を組織的に生かしている組織ではある。ここで仮に、保健所は不要、公衆衛生は不要と判断したとする。はたして保健所のミッションは無くなったか、公衆衛生のミッションは無くなったと言えるだろうか。これは言葉の定義上、ミッションが無くなったとは言えない。なぜなら「共同社会」が成り立つ限り、「共同社会の組織的な努力を通じて、疾病を予防し、寿命を延長し、肉体的・精神的健康と能率の増進をはかる」こと自体は無くならないからである。
なにも禅問答を述べているのではない。共同社会が成り立つ限り、公衆衛生の役割を果たせなくなった状況があっても実は公衆衛生の役割は無くならない、という大切な特徴を確認しているのである。何が起きても公衆衛生の役割は無くならない、この特徴に保健所は専門性と検証可能性をもって応えるのである。
試みに精神科病院での結核対応を考える。一次予防は結核の発症を予防することだが、100%の予防はできない。ゆえに二次予防の早期発見早期治療も同時に目指す。ところが、しばしば発見できずにまん延するため、三次予防としての再発防止も同時に目指す。さらに再発も認められ、一病院での対応では困難な局面にもなりうるため、あらかじめ再発にも備える。保健所の役割は、単に疾病予防だけではない。一次予防から三次予防、さらには三次予防もうまくいかないことにも、すべて同時に対応し続けること、これが「リスクヘッジ」である。
この役割は、替えが利かない。そして終わりがない。共同社会が目下ある限り、「リスクヘッジ」自体が公衆衛生の役割とも言える。保健所はそのための組織であることを、すべての仕事の始まりとして確認することが、保健所の存在意義の確認ともなる。
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