社会医学系専門医制度は緒に就いたばかりで、いまだ成功とも失敗とも結論が出ていないが、先行きを思うと私は暗い気持ちになる。このレポートで書く私の考えが、どうか杞憂に終わることを望んでいる。
まず、社会医学系専門医制度が作られた背景について記録しておく。というのも、制度が開始された2017年4月以降の文献には、制度誕生の背景は忘れ去られたかのように存在しないからである。
社会医学系専門医制度は、日本専門医機構が作る新専門医制度に追随して生まれた。日本専門医機構が2017年度からスタートする予定だった新専門医制度には、社会医学系の専門領域が入っていなかった(すべて臨床系だった)1-5)。そのうえ、初期臨床研修が終わったら、全ての医師は19に分けられた臨床系の基本領域のいずれかに進む3)ことになっていた。つまり、これでは社会医学系には誰も来なくなるのではないか、だったら社会医学系も専門医枠に入れてもらわないと困るのではないか、と思われたのである。若手にキャリアパスを示すため、とか、国民に公衆衛生医師の標準を示す必要がある6-10)等という理由は、後付けである。
本来であれば「全ての医師が初期研修の後にいずれかの基本領域を専攻していかなければならない」という制度を日本専門医機構が提示したときに、「そのような制度は、法律で規定されたものではない。ゆえに、業務独占が認められるものではない」と反論しなければならなかった。
後手に回って始まった制度を正しい方向に導くための検証方法は1つしかない。公衆衛生の役割・存在意義に資するか、に立ち返ることである。
C.E.-A. Winslowによる公衆衛生の定義は、「公衆衛生とは、(中略)、共同社会の組織的な努力を通じて、疾病を予防し、寿命を延長し、肉体的・精神的健康と能率の増進をはかる科学であり、技術である」11)である。「科学である」とは、仮説に基づいて運用・検証され、誤りは訂正が認められ、また新たな仮説に基づいて運用され、繰り返し検証されることである。「技術である」とは、専門性があり、政治や経済が先導してはならないことを意味する。そして「共同社会の組織的な努力を通じて行うもの」とは、公衆衛生は誰か特定の人間の専売特許ではない、という意味である。つまり、公衆衛生は専門性があるが、特定の誰かのものではなく、検証を行う権利は万人に保証されているもの、である。
社会医学系専門医は急ピッチで制度化されたが、創設前には特段の反対意見はなかった12)。ただ、私の懸念は、専門医制度を押し売り、資格によってセクショナリズムを生み、プロフェッショナル・オートノミーと称して他者を排除すること。もって公衆衛生自身の呪縛となり、柔軟性・危機耐性が失われ、公衆衛生本来の役割を果たせなくなること、である。
資格保持者は「社会医学系専門医を持っているか?持っていないなら参画する権利はない」と言い(言わせ)、非保持者は「社会医学系専門医を持っているか?持っているならすべて任せる(あとのことは知らない)」と言う(言わされる)。資格保持者もそれを利用する者もお互い不幸で、公衆衛生の役割は果たせない。
社会医学系専門医が、自己研鑽制度である「だけ」ならば安全である。しかし、これを保健所長の必須要件にするとか、「公の資格」になって、専門医を持たなければ公衆衛生医師と呼ばない、などと言われ始める事態は、いつか必ず訪れる。公衆衛生は、決して「公の資格」として認められなければならないものではない。使える資源はなんでも使って、公衆衛生の役割を果たすことが、すべてである。ゆえに、「社会医学系の若手が少なくなるから専門医を」ではなく、「公衆衛生を志す者に専門医制度は不要である」と、オープンにする方法もあった。専門医の言質が必ず正しいなどということはなく、むしろ害を生むこともあるのは歴史が示す通りである。公衆衛生は、そんな歴史の中で先頭に立って闘ってきたのではなかったか。
ヒトが作る制度には、走り出しても止められる機能をあらかじめ組み込んでおくこと、制度の見直しをする機会もあらかじめ設定しておくことが必要である。「的を外れた指摘だ」と思われても仕方がないが、私が申し上げたいことは指摘した内容の妥当性ではない。検討しておくほうが公衆衛生にとって安全性が高まったのではないか、と思うのであり、公衆衛生の呪縛となる可能性を吟味することは公衆衛生に資する、と申し上げているのである。
そして、待ったなしだと進められ、何も検討されなかったナイーブさに、暗い不安を覚えざるを得ないのである。
【参考文献】
1)坂元昇、公衆衛生行政医師の確保と育成-現状と課題、公衆衛生、2016年5月Vol.80 No.5 p.333-338
2)クリニックマガジン編集部、社会医学系専門医 関係6学会4団体が独自に進める社会医学系専門医制度確立に向け提言、クリニックマガジン、2015 42(8):p34-35
3)今中雄一、学会特別企画シンポジウム 社会医学系専門医と医療政策・マネジメント、日本医療病院管理学会誌vol.54(2017)No.1 p33-41
4)城所敏英 -全国保健所長だより-社会医学系専門医制度への取り組み、月刊「公衆衛生情報」、2016年11月、p.34-35
5)来年度から専攻医受け入れ 新設さる「社会医学系専門医」とは?、日本医事新報、No.4806 2016.6.4 p16-17
6)社会医学系専門医 2年後の創設目指しシステム構築へ、週刊保健衛生ニュース、平成27年6月15日発行、p.2-5
7)提言: 社会医学領域の専門制度確立について、一般社団法人 社会医学系専門医協会、2015/06/05、shakai-senmon-i.umin.jp/doc/teigen.pdf
8)第189回国会 参議院厚生労働委員会 第15号、平成27年5月26日、
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/189/0062/18905260062015a.html
9)公衆衛生医師の確保と資質向上にむけた「社会医学系専門医制度」の活用について、厚生労働省健康局健康課事務連絡、2016/12/16、
www.phcd.jp/02/j_ishi/pdf/seido_20161216.pdf
10)社会医学系の専門医制度に向けてー 現状とこれから ー、社会医学系専門医協議会、2016年3月、http://shakai-senmon-i.umin.jp/doc/setsumei.pdf
11)橋本正己 大谷藤郎、公衆衛生の軌跡とベクトル 対談、医学書院、1990、p13
12)社会医学系専門医(仮称)」への提言へのご意見とその回答、日本衛生学会、2015
年5月12 日www.nihon-eisei.org/wp-content/uploads/2015/05/150512.pdf
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