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2017年5月21日日曜日

この場面で一番避けなければならないことは何か。

乗っている車がリコールになった。
「リコール」というと、メーカーはとても大変であろうと想像されるし、リコールするかどうかの決定も大変難しいことだと思われるが、私にとっては、ありがたいことだと思っている。ちゃんと不具合を報告し、修理してくれるというのだから、リコール自体を「リコールを出したメーカーなんてダメだ」「メーカーが悪い」とは、まったく思えない。改善が加わるのだから、むしろ歓迎していいと思う(修理に行く手間はあるけれど)。
リコールを出すことがダメなのではない。本当はリコールが必要なくらい重大な不具合かもしれないのに、リコールしないでいい理由を探し、リコールせずに放置して事故になること、がダメなのだと思う。

この「避けたいこと」の設定は、重要である。
そして、よく間違えられてしまう、と思う。
致命的であるにもかかわらず。

たとえば、感染症や食中毒などの情報公開を考える。
「情報公開して、実は感染症ではなかったら、間違ったことに対する責任を問われる」という話がある。
この場面で最優先すべきは、感染症であることを100%保証すること、ではないし、食中毒であることを100%保証すること、でもない。そもそも、確定も否定も100%保証することはできない。また、「間違ったことに対する責任」など、存在しない。
この場面での「間違い」とは、情報公開が遅れて、感染症が拡がってしまうこと、である。たとえ結果的に感染症でなくても、感染症が拡がらなくて良かった、と考える。
情報公開に慣れていないと、情報公開しないでいいと自分を納得させる理由を探すようになる。

同じような話は他にもある。

感染症の接触者健診を実施するかどうかを考えるとき、範囲を広げすぎてはダメ、と考えるのではなく、少し広くても患者が増えていないことを確認できればOK、なのである(もちろん必要性は十分に検討した上で)。最優先すべきは「健診をせずに感染が広がったことを放置して気がつかない」という事態を避けることである。これも、健診に慣れていないと健診をしないでいい理由を探すようになる。

虐待防止学会でも、小児の保護に関して、こんな話を聞いた。
「保護して、実は虐待ではなかったらダメ、と考えがちだが、本当はそうではない。保護が間違っていても虐待でなくてよかった、と考えるのが正しい。保護せずにおいて、みすみす虐待を悪化させてしまうことが間違いである。」
さらに、児相の職員さんも、保護に慣れていないと、虐待を前にしても保護しないでいい理由を探すようになる、とのこと。

リコールから虐待まで、以上のような事柄を思っていると、また防災の分野で以下の話を聞いた。

「防災は、危険を大きめに評価して、住民を守るもの。もし危険を過大に評価していたとしたら、それは過大評価だった、でも何もなくてよかった、と胸をなで下ろす、というもの。過小評価して楽観的な見通しで対処することではない。」と言ったのは小出裕章氏である。

いま、この場面で、一番避けなければならないことは何か、を正確に捉えることは、致命的に大切なことだと思う。

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