熊本地震派遣の私的反省
私が御船保健所に派遣されたあとで、仕事を引き継いだほかの愛知県チームの報告を先日聞くことができた。そこで気がついたことを書いておきたい。御船保健所には、東京都-愛知県チームが感染症対策、宮城県チームがマネジメント支援という役割分担で入っていた。ちょうど私が入ったときは、愛知県チームが避難所の感染症対策を具体的に進める段階であり、宮城県チームが復興のためのロードマップを作ろうとしている段階だった。そんな中、宮城県チームから「今後の仮設住宅生活では、ぜひカビ対策を!」と教えてもらっていた。宮城県の経験から新聞資料や調査資料を見せていただき、避難所→仮設住宅と移れば、感染症対策も変化が必要なことを教えていただいた。感染症対策は愛知県チームの役割だったため、今後の仮設住宅移行に向けても考えていこう!と、話し合い、次の愛知県チームに引き継いだ(はずだった)。まもなく開始された仮設住宅の入居では、入居者にちゃんとカビ対策が呼び掛けられた。ただ、その資料作成は、愛知県チームではなく、どうやら宮城県チームにやっていただいたようであることが分かった。私のあとの愛知県チームには、仮設住宅での感染症対策を考えることも、宮城県チームから教えてもらった経緯も、引き継がれなかった様子だった。御船保健所が管轄した感染症対策で、派遣チームと御船保健所が一緒にやった仕事の流れは、まず、東京都チームが派遣されたときに、フォーマットを作成し次に、愛知県チーム1が派遣されたときに、サーベイの方法を検討しそして愛知県チーム2(私)が派遣されたときに、サーベイの今後の方向付けをし、軌道に乗せた。愛知県チームの活動の、方向付けをしたのは、私です。何も決まっていない状況で、「避難所での感染症サーベイをしっかりやる」という方向付けは、やらざるを得ない作業でした。それによって愛知県チームの活動に型ができ、御船保健所の活動が円滑にいった部分もあるだろう。それによって宮城県チームはマネジメントに集中できたこともあるだろう。御船保健所は、得体のしれない私たちの活動が分かりやすくなっただろう。どの仕事を誰がやるかは、気付いた人がやれるならば、それでよい。ただ、一方で、方向付けのために、皆が活動しにくくなってしまった部分もあったのではないか。本来やろうとしていた愛知県チームの業務の幅を狭めてしまったのではないか。結果、御船保健所に迷惑をかけた部分もあったのではないか。そのように反省する次第です。そして、気付いた宮城県チームが、「これは自分の仕事だ」として資料作成をされていたことに、助けてもらったと思う。
自分たちの役割や存在意義に立ち返ること、
これを解決するのは私の仕事だと自覚すること、
手伝ってくれる仲間がいること、が、
つくづく、大事だと思う。
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