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2021年6月4日金曜日

貧困のために安くハイカロリーなものを食べて、肥満になったからダイエットさせる、というのは、対策になっていない

感染対策の徹底で「感染しない/させない」ようにする、って
虐待対策の徹底で「虐待しない/させない」ようにする、と言っているのと同じ
感染対策の徹底なんて、琵琶湖の水を手でかき混ぜようとするようなものです

何が言いたいかというと
「虐待」は、すべての「結果」であって
「虐待しない/させない」なんて
最後の出口だけ整えても無意味だ、ということ

虐待対応している人には常識だが
虐待を見つけることは、ただの出口処理です。
本当の虐待対策っていうのは、もっともっと手前の対策をすることです

たとえば
親が受けてきた教育
親の健康状態、食生活
親の職場環境
親の相対的収入
現在の住環境
受けられる社会的支援
などなど

そういったことすべての結果が「虐待」として現れただけなのです
だから「虐待させない」なんて、ただの責任放棄なんです

必要な支援や対策はもっともっと手前にあって、「虐待した親」の責任を当たっても仕方がない。
だから「虐待対策の徹底で虐待しない/させないようにする」なんて対策とは呼べない。
教育、健康、食生活、職場環境、相対的収入、住環境、社会的支援といったことを改善することが、対策なのです。
虐待の一義的な責任は、我々が作った社会そのものにある、ということ。

かえりみるに、実は「感染対策の徹底」も同じです
ここは感染することで、何が問題なのか、何がしたいのかを考えるとよい

「感染しない/させない」ことの目的は「死者を減らす」ことでしょう(たぶん)
死者を減らすためにできること、というのは、たとえば

・受診できる医療機関がある
・入院できる医療機関がある
・重症化するリスクを減らす

そう
こういう要因を全部うっちゃって
「感染しない/させない」ことだけを対策といっても
それはただの出口処理なのです

受診や入院に必要なことは、医療提供体制の確保であり、
それを確保できないなら阻害要因を除去しなければならない

重症化リスクの削減に必要なことは、
それぞれのリスクに適した対策を講じることであって、
たとえば肥満や糖尿病への対策が必要なのです、感染対策以前の問題として。

「肥満や糖尿病への対策」は、これは詰まる所「虐待への対策」と同じです

つまり、ダイエットや治療薬ではなく、
教育、職場環境、収入、そういうものを改善することが、対策になるのです。
貧困のために安くハイカロリーなものを食べて、
肥満になったからダイエットさせる、というのは、
対策になっていません。

ま、多くの生活習慣病について、同じことが言えますね。

それから「重症化リスクの年齢」については「ある程度あきらめる」ことも必要です。
そもそも年齢は「結果」ですからね、対策できる因子ではない。
若返りの薬なんてないし、不老不死を目指して、良いことなんて、ありませんから。

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