フツーの3次救急なら捌ける数なのに、コロナだから病床が少なすぎて捌くことができない。これは医療提供体制の問題であって、コロナそのものの問題ではない。
「若い人も重症化すること」は、べつにコロナに限った話じゃないからね。感染者が増えれば、若い人だって一定数に重症化が見られるのは当たり前ですから。
さて
病床を拡げて、若い重症例を本当に救いたければ、やることは決まっている。
コロナを指定感染症のままにせず、5類感染症にして、1次~3次医療機関が分担して診るフツーの疾患として扱うことである。
非情なようだが、通常の救急トリアージを、いつも通りにやることである。
つまり
1.「重症」の定義を厳格に一律化する(「重症病棟に入院しているから重症と言う」とか「回復したけど重症」という数は数えない)。
2.3次医療機関には、若い重症や、挿管する患者を入れる。
3.高齢・DNARや挿管しない患者は重症でも2次医療機関へ。
4.医療機関内で院内感染が起きて、それで入院中の他の患者が死んでも、あきらめる→こうしないと、民間病院に受け入れてもらえないし、こちらとしても預けられない。だってすぐ"補償"の話になってしまうもの。
5.院内感染対策の見直しは"できる範囲"でやる、ムリしない。
6.ワクチンは"若い人"から順に接種して、ワクチンが足りなければ年齢に上限を設ける。
ま、たぶん、全部ムリだろうね。
コロナ以外の疾患は、こうなっているのにね。
そもそも病床も出口も少なく、患者が糞詰まりになる状況を作っておいて、なおも「あきらめることができない」ので、大阪や神戸のように、トリアージ機能が果たせない医療提供体制のままでいる。
こんなこと、1年前から分かってたやん。
数字上の病床稼働率と、実際のキャパには、解離があることも、1年前から分かってたやん。
医局も診療科も「縦割りのまま」にしておいて、よく「人が足りない」なんて言ったものだ、と思うけど。それが一因で病床が拡がらないんですよ、と言いたいけど。
病床の分母を狭めておいて「助けてください、稼働率99%です」なんて、何を今さら、知らんわ、と思うけど。
「コロナだけを見る病院を作る」というやり方は、愛知県で失敗していたが、あとに続いた大阪でも失敗ですね。なぜならば「患者の数が多い」から。コロナは患者を集約して捌ける疾患ではないのに、それを続けているから。大阪は失敗だとは認めないでしょうけれど、認めない分を、府庁の入院振り分けセンターが全部かぶっているのです。その一部が露呈したのが、大阪府の医系技官が「高齢者の入院は優先順位を下げる」とメールして、知事や部長が「それは府の方針ではない」なんて言って梯子を外された一件です。
大阪での入院の振り分けはセンター方式ですから、府庁や知事が知らない泥を、センターが被っている、ということです。
優先順位付けなんて、もう、どこの保健所でもやっとるわ。
で
臨床の現場でまん延している忌避感情は、どうしようもない。「患者を受け入れてください」というお願いレベルでは、受け入れ先は拡がらない。たとえ札束で引っ叩いても、病床は徐々にしか広がりません(1病院、5床とか)。そんな数では何もできない。
だ・か・ら
「取り扱い」そのものを、変えてしまうしかないのです。
「クラスターが発生して、高齢者が死んでも、それはあきらめる」疾患にする。
べつにコロナだけが、そういう疾患なワケじゃない。インフルだってノロだって緑膿菌だって、クラスターを作って、高齢者を殺します。一定「それはあきらめて」いますよね、いまでも。
「まだ若いのに、SpO2が低くて、入院しないと今日にも死んじゃう」という状況を、本当に何とかしたいのなら、「自然に罹患して自然に死ぬ人」は、あきらめる必要がある。それをあきらめないでおいて「若い人を助けたい」と言うのは、ただの泣き言です。
だって、システムが、若者を救えるようになっていないのだから。
限りある資源の中ではトリアージ機能も合わせ持つ医療提供体制が必要である。
残念なことに、いまはすべて「コロナ病床がある病院にだけ」患者を集約させているから、年齢や重症度に関係なく、ただ「コロナ病床が埋まる」システムになっている。
「1次、2次、3次医療機関の役割分担」というシステムは、問題はあるけれども、「3次医療機関だけにコロナを押し付ける」システムよりは、よほどマシでよく出来たシステムです。
ない袖は振れない。
ない袖は、作るしかない。
ま、そうは言っても
きっとこのままだろうから
「高齢者がコロナで死ぬのをあきらめない」かわりに
「若者がコロナで死ぬのをあきらめる」状態が続くのだろう
それを何とかトリアージして泥をかぶるのは
今までも、これからも、保健所なんだろう
と思っている。
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