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2020年12月20日日曜日

「頑張って感染対策する」と失敗する

 医療崩壊するか否かは、医療崩壊するように運営するか否か、で決まります

我々プロフェッショナルは、起こした結果で善し悪しを判断します(これはべつに"患者が死んだら負け"っていう意味ではないです)

どういう意味かというと
公衆衛生って、感染対応だけを頑張れば良いものではない
感染症対応も、感染対応だけを頑張れば良いものではない
という意味です

「頑張っていることで褒められるのは小学生まで」
と私はときどき自分に言い聞かせます
小学生をバカにしているのではなく、趣旨が好きで、自分を律する・戒めるためでもあります

つまり
コロナは、感染対応だけを頑張れば良いものではない、ということです
たとえば、いくら感染者を拾い上げても、その結果、通常の医療が提供できなくなったら、それは失敗だ、ということです
たとえば、「感染者をキチンと拾う」とか「感染しないことが大事」とかは、それは教科書の話だろう、ということです
たとえば、「手術は成功しましたが、患者のQOLやADLや寿命には影響を与えませんでした(むしろ低下しました)」というのは、やってはいけない手術だ、という意味です

いま、"この状況"でどうするかを考えるのです
医療崩壊しないように運営することを考えるのです

本当は、指定感染症を外して、全数届け出と、濃厚接触者調査をやめればいいんです
でも、それもできない今、この状況でどうするか
1つの方法は「検査しない」ことですね

すべては「検査」から始まります
陽性を見つけてしまうことで、介護サービス拒否となり、スタッフが出勤停止になり、病院はベッドコントロールに苦しみ、退院先が見つからず、次の入院を受けられないという一連の不毛な連鎖が起こってしまいます

この状況では「握り潰してしまう」ことが医療提供の継続性を担保する方法です
重症患者のみ検査すればいいのです

特効薬もなければ、特殊な治療もありません
人工呼吸器やECMOというものすら、自力で回復するのを待つ手段であって、決してウイルスを除去するものではありません
解熱剤や感冒薬なんて効きません

重症患者だけ拾えれば、治療は必要充分な人に適応されるものです
だから2つ目の方法は「安易に受診しないこと」です

感染対応で「希望をもってほしい」とか「一致団結して乗り越えよう」とか言って感情に訴える方法が褒められるのは、小学生までです
いま必要なのは、そんな根拠のない感情論で誘導することではありません
医療関係者の間で広がっている忌避感情なんて、今に始まった話ではありません
下手な感情論は対応をミスリードしてしまいます
顔に鉄仮面をつけ、冷静に対応し続けることが必要です

特に施設や病院では、感染対策を頑張ってはいけません
良かれと思って「フロアー全員検査!」みたいにすると、患者の行き先がなくなって、困るのは自分たちです
出入りの業者も来なくなったり、スタッフは家族から疎まれたり、その結果、スタッフも離れていったりします
鼻息荒く「頑張って感染者を拾った」結果、施設運営できなくなれば、それは後先考えずに検査した自己満足に過ぎません
検査して安心を買いたいだけの行為です
こういう検査を「検査しといた?症候群」と言います
支援に入った部隊がやりがちな失敗でもあります

福祉関係者や医療従事者だからといって、プロフェッショナルオートノミーに期待するほうが間違っています
我々は、もっともっと愚かです
愚かに振る舞ってしまうことを勘定に入れて対策を考えるのが公衆衛生です

医療崩壊するか否かは、医療崩壊するように運営するか否か、で決まります

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

鉄仮面で笑ってしまいました。なんとなく看護師してますが、精神科訪問看護師なのでとんでも無く汚ない家や患者様の所に行くので、マスクは役に立っています。ゴキブリがいる家や様々な臭いや、受け入れられない患者様に出会った時のナウシカ的な(来ちゃだめー)な事に出会った時の為にも今後もwithマスクしたいです。