日本のコロナ対策をいま先導している政治・専門家・メディアを見るにつけ、思うことがいくつもある
「足るを知る」ということがない
「満足する」ということがない
我々人間は、動物であって
人間の都合だけで地球が自転しているわけではないのに
生きるの死ぬのに、良し悪しなどないのに
人間の都合だけで地球が自転しているわけではないのに
生きるの死ぬのに、良し悪しなどないのに
日本のコロナ対応は、クレーム処理窓口の対応みたいになっていませんか?
窓口側は「対策の乱れ打ち」をしている
腫れ物に触るように、責められないように、訴えられないように、お客様は神様だと思い込んで、誤診のないように、へりくだり、ちやほやして、ケンカしないように、言われたサービスを提供することが役割だと信じて、ガイドラインが間違っていてもガイドラインを遵守しさえすればいいとだけ考えて(啓蒙することは忘れて)
でも最後は自己責任ですと宣告する
腫れ物に触るように、責められないように、訴えられないように、お客様は神様だと思い込んで、誤診のないように、へりくだり、ちやほやして、ケンカしないように、言われたサービスを提供することが役割だと信じて、ガイドラインが間違っていてもガイドラインを遵守しさえすればいいとだけ考えて(啓蒙することは忘れて)
でも最後は自己責任ですと宣告する
お客側は「安心」を買おうとしている
支払った対価を求めるように、最高の医療を受ける権利があるとでも言うように、コロナに罹ったら誰かの責任だと言い、熱が出たらどうしてくれると言い、患者を穢れとして扱い、「いま」を生きることができない
支払った対価を求めるように、最高の医療を受ける権利があるとでも言うように、コロナに罹ったら誰かの責任だと言い、熱が出たらどうしてくれると言い、患者を穢れとして扱い、「いま」を生きることができない
窓口側もお客側もこの発想の行きつくところ、「金が欲しい」と同じである
「お金を儲けたい」という願望は、「達成する」ことがない
「良いサービスを受けたい」という願望にも、「達成する」ことがない
もし「達成した」としたら、それは頭の中で考えただけの幻想で、またしばらくすれば「また儲けたい」とか「〇〇を手に入れたい」と欲が出てくる
まったく、キリがない
まったく、息が詰まる
「お金を儲けたい」という願望は、「達成する」ことがない
「良いサービスを受けたい」という願望にも、「達成する」ことがない
もし「達成した」としたら、それは頭の中で考えただけの幻想で、またしばらくすれば「また儲けたい」とか「〇〇を手に入れたい」と欲が出てくる
まったく、キリがない
まったく、息が詰まる
同じようなサービスを提供することを全国一律に求められても、そんな価値観は普遍的なものではない
買った野菜に虫が入ってることを怒るような価値観でコロナ対応されても、そんな判断で対策を押し付けられても、こっちは虫なんて何とも思ってない
過剰包装を喜ぶ文化もあるが、ゴミだと思う文化もある
買った野菜に虫が入ってることを怒るような価値観でコロナ対応されても、そんな判断で対策を押し付けられても、こっちは虫なんて何とも思ってない
過剰包装を喜ぶ文化もあるが、ゴミだと思う文化もある
さらにもう1つ
「エビデンス」の使い方を、根本的に間違えている
「〇〇は効果があるらしい→エビデンスを作れ」という使い方である。
事業に合った都合のエビデンスを「あとから」作ることは、単なる広告であって、エビデンスではない。それをもしエビデンスと呼ぶのならば、やっているその行為は「エビデンスの捏造」という
そんなデータを前にしては、それは決して「エビデンスがある」とは言わない
「エビデンス」の使い方を、根本的に間違えている
「〇〇は効果があるらしい→エビデンスを作れ」という使い方である。
事業に合った都合のエビデンスを「あとから」作ることは、単なる広告であって、エビデンスではない。それをもしエビデンスと呼ぶのならば、やっているその行為は「エビデンスの捏造」という
そんなデータを前にしては、それは決して「エビデンスがある」とは言わない
たとえばマスクの効果について
簡単に「エビデンスがある」なんて言えたもんじゃないことは本物の科学者ならば分かるはず、「エビデンス」なんて軽口を叩くことはしないはずだが
よく見かけるのは「マスク単体のウイルス除去効果」を見て、感染防止の効果に置き換えるという広告である
また「マスクしていた人」と「マスクしてなかった人」を比べて感染率や発症率を調べる、みたいな
簡単に「エビデンスがある」なんて言えたもんじゃないことは本物の科学者ならば分かるはず、「エビデンス」なんて軽口を叩くことはしないはずだが
よく見かけるのは「マスク単体のウイルス除去効果」を見て、感染防止の効果に置き換えるという広告である
また「マスクしていた人」と「マスクしてなかった人」を比べて感染率や発症率を調べる、みたいな
「マスク単体のウイルス除去効果」と「実社会でマスクが及ぼす影響」は、そんな単純に言えるものではなく「マスクには予防効果がある」なんて分かったもんじゃない
対照実験に見える設定でも、感染しないことが何よりも大事だという価値判断が前提になっていますよね
つまり先に結論ありきということ
対照実験に見える設定でも、感染しないことが何よりも大事だという価値判断が前提になっていますよね
つまり先に結論ありきということ
「妊婦は貧血になりやすい→黒ビールには鉄分が豊富らしい→黒ビールは妊婦に良いらしい→黒ビールに鉄分が豊富であることをピルスナービールと比較して妊婦に良いというエビデンスにしよう」
って言ってるのと、大差ないと思っている
コロナ対応をクレーム処理のようにしてしまっているのは
消費者vsサービス提供者
お客様vs窓口対応
一般市民vs専門家
自治体vs政府
という二項対立にしている姿勢からくるように思っている
消費者vsサービス提供者
お客様vs窓口対応
一般市民vs専門家
自治体vs政府
という二項対立にしている姿勢からくるように思っている
もうやめようぜ
クレームをつけて、それを処理する、ってのは
そうやって「誰かのせい」にするのは
0 件のコメント:
コメントを投稿