どのような議論があるのかは私には分からないので、現在の自分の理解を記録しておきたい。余談以下が私にはとても恐ろしい、ので。
トランプであってもなくても、トランプ風の政治家が現れることの効果は、「国が崩壊していくことに、歯止めが利かなくなっていくこと」だと思う。いきなり「国の崩壊」というと面食らうが、言い換えると「制度の崩壊に、歯止めが利かない」「維持していけないことに、歯止めが利かない」ことだと思う。
いままで、変化に対して抑制的に働いてきたのが政府であり行政であったはず。
その抑制が、できなくなる。何もしない政府、何もしない(本当に何もしない、存在意義のない)行政になっていく。
トランプ風の政治家が、国の存在意義を、無力化する。その結果、制度の維持ができない状況になる。
別にこれは、トランプでなくても、いつかはそうなっていったことなので、彼が悪いわけではない。
ただ、崩壊のスピードが増していくので、リスクヘッジする時間と手が足りない。そして、そうなることを良しとする人もいる。
だから、歯止めが利かない。
結局、トランプに代表されるまでもなく、しばらく前から日本も同じ「歯止めが利かない」状態にあるのだと思う。
アメリカの歯止めが利かないだけでなく、日本も、いくら総理大臣が不適であっても許容される、というように、内向きにも作用する。
国、制度、政府、行政、そういったものが維持できなくても良い、と思う人はいてもいいが、維持できなくては困るはずの私たちもこの状況を作っている構成員である。
「言わせておけばいい」といったあとの結果を引き受けるのも、私たちである。
ちなみに、トランプ風の政治家の発言に一喜一憂してしまうのは、一喜一憂させられる、のではなく、積極的に自分で選んで一喜一憂している、のだと思う。
どーするかね。
どーしよう。
たとえば、これまた突飛な例だけれども、「A国がK国を攻撃し、K国はA国にではなくN国に反撃してくる。N国は戦争に引きずり込まれる」「A国は、N国が反撃されても構わないから、N国を一時のスケープゴートにして、利益を得る」と仮定して考えた場合。
問題は、ここには、N国の人々に選択権も主導権もないこと。N国のあずかり知らぬところで、すべてが決定され、実行されること。これでは、リスクヘッジのやりようがない。
密約を交わしてA国とN国が合意した上でA国が攻撃したとしても、やっぱりN国の人々には選択権も主導権もなく、この事態に対してリスクヘッジのやりようがない。
そして、おそらく、このような事態は、ある日突然やってくる。
選択権や主導権をN国に取り戻す、というのは、目指すのは構わないが、人々にとってのリスクヘッジではないと思う。なぜなら、この「歯止めが利かない世界」では、A国もK国も、人々にはもはや選択権も主導権もないのだから。
だとすると・・・
「A国がK国を攻撃し」ないようにしたいが、コントロール困難。
「K国はA国にではなくN国に反撃し」ないようにしたいが、コントロール困難。
「N国は戦争に引きずり込まれ」ないようにしたいが、どうか。
N国は、自分たちの姿勢を、自分たちで決めること、が、唯一のリスクヘッジ。
つまり、N国が攻撃されても、N国は反撃しないこと。
ただ、N国は自分たちの姿勢を決めることにすら選択権も主導権もない場合、これを、リスクヘッジしながら生き延びるには…。
細々とでも歯を食いしばって耐える、ということしか、思いつかない。
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