福知山線の事故のときに、 救急隊員や医師の動きを後から検証して、
「このとき、この人が、こうしなかったから、助からなかったんだ」
「こういう動きをしたから、こっちを見逃したんだ」
という批判が出たことをうけての言。
実家に帰ったりして、TVを見ると、私は「犯人探し、やめようよ」と思ってしまう。
新聞の見出しを見ても、そう思う。
政府の言ったことを、あのとき安全と言ったじゃないか、とか
停電するって言ったのに、結局しないのは誰のせいだ、とか。確かに、どこの、誰が、どんな考え方で、何をしたか、を明確にすることは、とても大切なことなんだと思う。
それが大切だと思う理由は、より良い方向に改善したいから、である。
それだからこそ、責任の所在というものをはっきりさせる意味がある、と思う。
もし、「アイツがこう言ったから、悪かったんだ」と言うに終始してしまうのでは、
犯人探しをすることだけで終わってしまう。
そんなことで終わってしまうのは、きっと、犯人探しをする者にとっても、益はない。
より良い方向に改善できるこのチャンス、犯人探しをしていては、もったいない。
さて、そこで、犯人探しをやめにして、改善していくにはどうしたら良いかと考える。
良い方向に改善していくことも、ひとりではできないこと。
責任を問う、のではなく、なぜ、どうして、と共に考える多くの人の、方向性と意識の一致があればこそ。
そう自分にも言い聞かせて4月から働きたい。
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