「プルートウ」、浦沢直樹作。
原作は、手塚治虫の鉄腕アトム、「地上最大のロボット」とのこと。
私は鉄腕アトムを読んだことがない、鉄腕アトムのストーリーもよく知らない。この漫画は、読み進めるにつれて、怖いなあと思った。最終的には、ロボットは人間を支配することを目標にしている、という展開だ。が、そんなことが怖いわけではない。
では、何が怖いのか。
「自分」とは、「人間」とは、「生きている」って、一体なんなのか、「意識」ってどれくらい当てにできるものなのか、結局、そんなにあてにできるものではないんじゃない?読んでいて、そんな感覚があった。だから、「この世」とか、「生命」とかが、グラつく。「自分」という意識も、そんなに当てにできる存在ではない、ということを考え続けると、怖いなと思うんだろう。そういう、あてにできるもんではない、ということを、養老孟司さんも言っていたな。
ただ、養老さんも言っていたことだけを確認するだけなら、「プルートウ」はそんなに怖くはないはず。ということは、私が感じた怖さは他にも理由がありそうだ。
なんだろう。
偏った感情をロボットに入れる、という場面で出てくる「憎しみ」かなあ。「憎しみ」に支配される、ということが怖かったのか。
でも、人間は「憎しみ」を持って、同じ「憎しみ」にずーっと支配される、ということはないと思う。たとえば10年、20年後には、変化が起きたり、いつか忘れたりすると思う。だから生きていける?
では、ロボットがかかえた「憎しみ」は、変化するのか。私は、アトムの中で変化したんだと思う。そうそう、感情は変化するものだ、変化するから「憎しみ」も生まれたんだ。生まれた「憎しみ」も変化するんだ。
私が感じた「怖さ」も、単純な「恐怖」から、抱え込んで受け入れていく「恐怖」に変化していった気がする。